2016.2.10
このコラムは、NPO法人Collable代表理事の山田小百合さんに寄稿していただきました。
Collable(コラブル)というNPO法人の代表をしている山田小百合と申します。Collableは、「Diversity Fun!な人と環境をたくさんつくりたい」という思いで活動している団体です。
主に障害のある人もない人もともに集うワークショップやイベントなどを企画しています。 2014〜15年は、いろんな「まち」でのワークショップの機会をいただきました。
「まちづくり」という分野において、共生社会、障害者福祉の課題は必須課題だと思いますし、それに縛られず、「まち」に関わる人達そのものが多様な人達の集合体とも言えるかと思います。
今日はまちづくりのワークショップの経験で気づいたことについて書いてみようと思います。
ワークショップを企画したことのある方は想像がつくかと思いますが、多くのワークショップは参加者の主体的参加を促しやすくなっています。
なぜなら、企画の意図などを事前に広報で知り、意図を理解し共感してくださった方が、主体的に申し込んで参加してくださる場合がほとんどだからです。
企画側も「参加者はある程度こちらのねらいを理解してくれている」という前提で会を始められるので、ワークショップの最後は参加者のみなさんと笑顔で終えられることが多いでしょう。
地域でワークショップを活用する場合、ワークショップの目的は様々あるかと思いますが、主催する自治体担当者は、「できるだけ幅広い年代」で「まちの未来を主体的にポジティブに考えてくれるような人」に参加してもらいたいと思っています。
つまり、これからのまちを担うプレーヤーが、まちの未来を考え、生み出す場になってもらいたいわけです。しかし、なかなかうまくいくわけにもいかない場合も多いようです。
それは、ワークショップの意図を抜きに自治体側へ不満をぶつけることを目的として、参加者が集まる場合です。良くも悪くも、思いや考えが強すぎるが故に、自分の考えを押し付ける、という場面も珍しくありません。
結果、年代を問わず前向きな議論をしたい人のモチベーションは下がり、ワークショップに残るのは不満を垂れ流す人ばかりで、自治体側も「もうワークショップなんてしたくない」と気持ちが下がってしまう。
ポジティブな場にしたいのに結果はネガティブループ。
こうした場面が生まれる場合、いくつか原因はありますが、1つあげるならば、適切な広報ができていない場合がほとんどです。よく見かける広報上の病気2つをご紹介します。
1つは、「簡素な広報病」です。
自治体が広報をかけるとき、市報や区報などに募集情報を載せるだけの場合です。自治体としては「全ての人に平等に情報を伝え」ることで役目を果たしている様子です。
しかもどんな目的で、どのような人に来てもらいたいのか、丁寧な記述がされていません。基本的に簡素な記述で最低限人が来てくれることに慣れているからこそ思考停止をしてしまっています。
例えば年配者ばかりが集まりがちなので、もう少し若い人にも来てもらいたいと思うのであれば、若者が見る媒体で情報を掲載したり、カフェにチラシを置いてもらうなども必要です。
もう1つは、「誰でも迎えすぎ病」です。
目的にそって来てほしい参加者像があるのであれば、申込時に参加動機を書いてもらい、それを見て参加者を選考することも場合によっては必要かと思います。
もしくは、来てもらいたい人や企画を知っておいてもらいたい人は個別にご連絡をすることで、企画により注目してくれるようになります。
しかし「申しこめば誰でも参加OK」というスタンスにしているために、ワークショップが機能しなくなるような人が参加することすら許してしまう状況となります。
自治体としては参加者をフィルタリングすることが「平等ではないのでよくないのでは」とためらうようです(そんなの、なんちゃら検討委員会で特別な人に声かけたりするんやから、同じやーん!と、庶民な私からすると思っていたけどどうなのでしょう)。
もちろん、ワークショップデザインをする上で、広報のデザインから行いますが、自治体の都合上介入ができないこともあり、悔しい思いを感じたりもしました。
広報は参加者との最初のコミュニケーションの機会なのに、もったいなく思ったり、こちらの意図が誤解されたまま参加者が集まったり、誰もハッピーじゃない状態でワークショップがスタートしてしまいます。
数の論理で、結局多くの不満の人が集まれば、場の雰囲気は崩れてしまい、前向きな議論ができる環境にはなりませんよね。
何はともあれ、まちづくり系のワークショップを実施する場合、出来る限り参加者の強い思いを潰さずに、こちらの準備した意図が、参加者の思いとリンクしているよ、ということを丁寧に理解してもらう努力が必要(それも時間をかけて)だろうなというのが、この2年間の気づきでもありました。
そのすり合わせができて初めて、ワークショップの目的、活動の目的を理解してもらえるのだろうな、とも思います。
こうしてまじめに考えてみるものの、地域の参加者にとってワークショップの意図なんてぶっちゃけどうでもいいのだろうとも思うのです。
様々な形で自分たちの要望を伝える場所を探してここにいきついたのだろうな、とも思うと、ワークショップという活動を闇雲に導入すること自体、疑問が残ります。
まちづくりのワークショップって、なんのためにあるのだろう。闇雲に実施するものでもなくて、ここちよいワークショップが生まれる成立条件がある気がしています。これについてはまた整理できたら書きたいと思っています。
どちらにせよ依頼をいただいた場合は、ワークショップの後にまちづくりに繋がる余韻を残せるように、時間をかけてその地域と関わりたいと思っています。
寄稿者プロフィール
山田小百合。1988年生まれ。大分県出身。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。修士課程ではインクルーシブデザインや、障害のある子もない子もともに参加するワークショップの実践研究を行う。修士課程修了後、NPO法人Collableを創立。学習環境デザインやインクルーシブデザインをベースに、ワークショップ、コミュニティづくりなどを手がける。京都造形芸術大学非常勤講師。
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