マチノコト

2017.2.23

「モビリティ」を考えることは「人」と「まち」を考えること

NYのBrooklynのマーケットの様子

普段、私たちはさまざま移動しながら生活をしています。クルマや自転車などの自家用車、バスや電車、新幹線などの交通機関。もちろん、徒歩も一つの移動です。移動することで行きたいところに訪れたり、 途中に見つけたおしゃれなお店に入ったり、道端で知り合いと出会って立ち話で花を咲かせたり。移動することによってさまざまな楽しみを得ることができます。

そうしたなか、昨今のテクノロジーの進化によって、あらゆるものが自動化されはじめてきた。テクノロジーの進化で、世界の様子がウエブを通じて見れたり、家にいながらバーチャルな空間を楽しんだり。デリバリーサービスも浸透しはじめていて、自分が移動しなくてもモノが手に入る時代になりつつあります。そうしたサービスが進化していくと、もはやどこに住んでも同じと感じることがあるかもしれません。けれども、そうした世界が私たちの暮らしは幸せになるのでしょうか。

昨今、都市における歩きやすさを意識した都市づくりが行われています。廃線を利用したハイラインや最近では地下に公園(ローライン)を建設するなど、NYにおける面白い動きはまさにそうです。都市のなかに、お金を払わなくても人と人が集える場所を作ることで生まれる経験や価値を生み出そうとするう動きともいえます。

その地域の空気を吸い、食べ物を食べ、自然を愛で、近隣の人たちと集う場所があること。機能としての家の内側だけの住まいではなく、家の外も含めた都市の住まい方に次第に意識が向き始めている気がします。そこには、地域のらしさが魅力として形になっており、住んでいる人たちにとっても、そこから地域への愛着や貢献、参加をしたくなる空気感が生まれてきています。

移動がもたらした私たちの日常

NYにあるハイライン。休憩したりコーヒースタンドがあったりと、人々の憩いの場所になっている

さて、冒頭に、移動について色々と触れてみたが、改めて私たちの身の回りにある移動について考えてみましょう。例えば、クルマや船、飛行機などの移動や輸送の現場は、私たちの生活に大きな影響を与えてきました。日々道路は建設・拡張されていき、新しい駅や路線が生まれています。移動することが当たり前になればなるほど、それを維持するためのインフラや、移動手段のあり方に目を向けて行かなければなりません。

都市における移動を考えるとき、その多くは自動車で移動することが基本でした。私たちの日常において最も身近な移動手段であった自動車は、人の移動を容易にし、レジャーや家族団らんなど移動に伴うさまざまな楽しみを提供してきました。近年、自動運転車などの新たな車の形を模索する動きがでてきています。単に目的地に着きたいという合理性だけを考えると、自動運転による移動は楽かもしれません。しかし、車を運転するという行為は、操縦や自身で移動するという喜びのような、目的地に到着することだけではない感覚をもたらしてくれます。

人と人とがつながる手段として、オンラインではなくオフラインやライブといった身体的な価値を見出そうとする動きも増えてきました。家の内ではなく、いかに家の外に行きたくなる場所や手段をつくるか。そこには、必ず移動が伴ってきます。移動にともなうさまざま要素、つまり移動性、モビリティの価値をどのように考えるか、ともいえます。

つまりモビリティとは、クルマだけに限らず移動も含めたその環境を考えることにもつながってきます。移動するだけでなく、移動することそのものが楽しくなるような、人々の生活や地域とつながった行為でもあるのです。

モビリティからまちを考えてみる

そうしたモビリティについて研究しているのが、トヨタ自動車の未来プロジェクト室による「くるま育研究所」です。クルマを使うではなくクルマで学ぶを軸に、これからのモビリティとまち、人のそれぞれを意識しながら研究を進めています。

これまでに、くるまを自分自身に見立てたペーパープロトタイプをつくり、自分だけのくるまのコンセプトをつくる「くるまっち」や、クルマの最小単位をハンドルと定め、自身でハンドルをデザインし、運転することの楽しさを体験する「はんどるさん」など、親子で取り組むワークショップを行ってきました。その根底には、クルマを学びの素材として学びと創造を促し、そこからモビリティについて考えるきっかけを生み出しています。

2016年には、中高生を対象に金沢や尾道、川崎といった地方都市それぞれで、その地域に寄り添ったモビリティを考えるワークショップを行っています。金沢では、「金沢3H Drive」という3時間でまちを巡る企画を参加者に考えてもらうものです。その際に、移動する手段と対象者をランダムに設定。「リアカー×先生」、「自動車×友達」、「徒歩×お父さんお母さん」、「シニアカー×小さい子ども」、「バス×外国人」といった組み合わせをもとにプランを考えなければいけません。それぞれの違った視点からまちを見ることで、日常では気がつかなかった金沢の魅力の再発見につながります。

2016年12月22日にくるま育研究所公開ワークショップが開催。各地の様子などが会場内で展示されていた  写真提供:くるま育研究所

尾道では、過去、現在、未来のモビリティについて考えることで、かつての移動手段、現在の移動手段を見つめ、そこから未来にどのような移動が尾道にあるのか、それによって地域でどのような産業やレジャー、日常の暮らしを楽しむ方法があるのかを考えます。歴史や文化を紐解きながら、地域の魅力の再発見を改善点を考えるきっかけを生む場といえます。

モビリティとはものや情報が動くきっかけでもあり、まちに対する見立てを変え、ジャンルや分野を横断したり統合したりすることで、まちのあり方や見方も変わってくるのではないでしょうか。モビリティという言葉を軸に、自治体や地域の歴史をストーリーテリングすることで、地域の価値の再発見にもつながってきます。中高生などの次世代の子供たちの意識を変えていくことで、未来のモビリティのあり方がもっと多様で豊かなものになってくるように思えます。

モビリティを考えることは、地域の営みを考えること

それぞれの地域には、それぞれの地域固有の価値があります。その価値とは、地域の歴史や暮らしている人たちが重なり合って生まれたものでもあります。建物一つとっても、歴史を感じさせる木造や古民家から、その地域の「らしさ」を感じることができます。

そうした地域の「らしさ」を生かしながら、未来に向けての新たな価値を創造する。まちを考えるためにも、そこに暮らす人たちのつながりを考えることであり、そこにはさまざま形のモビリティが影響してくるはずです。

公開ワークショップでは、各地の活動の発表後、これからのまちについて考えるディスカッションなどが実施 写真提供:くるま育研究所

行きたい目的地に対して一直線で移動しようとすると、移動経路は点と点のみとなり、その間にあるものになかなか目を触れる機会は少なく、移動という行為から生まれる偶然な出会いや発見も減っていきます。そうすると、まちなかにある小さな商店や、キラリと光るモノや場所に人が集うきっかけは生まれにくいかもしれません。世代によって交通手段もバラバラで、同じ世代同士が集まりがちで交流も生まれにくい。

昨今では街歩きや地元の人たちにヒアリングをしながら、地域の魅力的なモノやコトをアーカイブしたりしながら地域の魅力を掘り起こし、異なる世代が交流するきっかけを作る取り組みも増えてきました。筆者も、最近では各地で地域のこれからを考えるためのプロジェクトにお声がけいうただくことが増えました。そうした場で必ず言っているのは、地域の歴史や文化を紐解くためのフィールドワークの重要性です。

民俗学的、考現学的なフィールドワークは、これまでの人の営みを知る機会となり、そこから足元にある地域に対する異なる視点を学ぶことができます。まちが持つこれまで見えなかった価値や文化を浮き彫りにすることで、人の身体的な営みと寄り添いながらその地域の再編集する可能にすることができるのです。

クルマという固定概念から脱却し、新たなモビリティと向き合うためにも、人の暮らし方や営みにいかにして寄り添っていけるかを考えなくていけません。移動することの意味や価値、それらを踏まえた新たなまちのあり方を考えること。まちのことを考えるために、人が移動するという根源的な行為にも改めて目を向けるべきではないでしょうか。

江口 晋太朗

Shintaro Eguchi

編集者/ジャーナリスト。TOKYObeta Ltd 代表、マチノコト理事、inVisible理事、日本独立作家同盟理事。著書 『日本のシビックエコノミー』『ICTことば辞典』『パブリックシフト』など。1984年福岡県出身

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