2016.7.5
岡村製作所が企画・運営する「Future Work Studio “Sew”(ソウ)」は、企業や組織の枠を超えて、誰もが持っている「面白い」をつなぎ、今まで思いつかなかったモノやコトを生み出したり、 ひとりでは解決できなかった問題をみんなの知恵を出し合って解決するための、仕組みであり、空間であり、活動です。今回、マチノコトのメンバーでもある江口がファシリテーターを務めた「シビックエコノミー:小さな経済の小さな経済のつくりかた」が開催。レポートが公開され、転載の許諾をいただきました。イベント概要、元記事はこちらです。
「自分の住んでいるまちに対する愛着や帰属意識を高めようと、『シビックプライド』という考えが広まってきて、世界各地でさまざまな取り組みが行われるようになりました。そこから、帰属意識や愛着心を生み出すだけでなく、自分たちで小さくてもいいから地域にアクションする人が増えてきました」
今回のファシリテーターである江口さんの、「シビックエコノミー」をとりまく状況についてのレクチャが始まりました。
オランダの“I amsterdam”などに代表されるシビックプライドは、都市の象徴的なロゴやビジュアル、広告キャンペーン、物理的な空間などを活用しながら、そこに住む人、通う人たちの愛着心を高める活動で、世界各地で行われるようになりました。
しかし、その多くは市民が自ら動くといった雰囲気よりも、行政主導や官民連携の取り組みの色合いが強い印象があります。それに対し、実際のまちに目を向けてみると、小さい活動ながら、市民が連携して地域を良くしていくような活動が行われています。
「“エコノミー”というと、株式市場とか貨幣経済といった大きな経済というイメージが強いですけど、本来は循環させる、やりくりするという意味なんです。物々交換や物技交換といった、貨幣だけにとどまらず地域の中で小さな循環を生み出そうという活動はシビックエコノミーと呼ばれています。この本をつくるにあたって、日本各地のそうした事例を実際に調査して回りました」
次々と「シビックエコノミー」の特徴を挙げていく江口さん。「自由なアソシエーション」「いいアイデアを実行」「地域のリアルなニーズ」など気になる言葉が並んでいきます。
「例えば『パブリックマインドがベースにある』と書きましたが、日本はパブリックに対する考え方を捉え直す必要があると考えています。現在は、みんなが横で少しずつ連携しているんだけど、集団の中心は空虚でアンタッチャブルなゾーンになっていて、そのゾーンのことを“パブリック”と呼んでいる。これが僕の感じる日本のパブリックのイメージです。でも、もっとみんな手を伸ばして、空虚なゾーンにアプローチしていく、踏み込んでいく。そうやって、誰もが重なり合い、関わることができる領域こそ“パブリック”であるべきなんです」
お役所がやってくれるからとか、面倒くさいからといって手を出さない領域が「パブリック」になってしまっているという指摘はとても刺激的です。
「今日のパネリストはお三方とも東京で活動されていて、ある意味東京ローカルな話が聞けると思います。それぞれの方の活動はさまざまですが、東京の東と西、双方の取り組みを通じて、地域との向き合い方が聞けますのでとても楽しみです」
「東京ローカル」という独特の表現に、参加者の中にメモをとる姿が多くみられました。さて、江口さんのレクチャが終わり、いよいよ実践者の方のプレゼンがはじまります。
「学生時代にバックパッカーをしていて、たくさんの国を歩いた経験から、なんとなく将来自分はまちに関わることをするんだろうなと思っていました」
入谷を中心に東東京でさまざまなまちづくりの取り組みを展開している今村さんのプレゼンは、自分とまちの関係から始まりました。新卒で大手電機メーカーに入ったものの、まちとの接点をつくりたい、まちづくりに携わりたいとコンサルティング会社に転職。ただ、その仕事の中でも、まちに対する姿勢について悩むことがあったそうです。
「例えば、大きな商業施設をつくると、初期投資の負担が大きいので家賃を高く設定せざるを得ません。自分が行きたいなと思うカフェとか、あったらいいなと思う雑貨屋とかは個人経営なので当然その商業施設には出店できませんよね。じゃあどうすればそういう自分が素敵だと感じるお店や面白いことをやっていると思う人を集めることができるのだろうと考えたんです」
そこで社長とかけあってコンサル会社で働きながら、自分のやりたいことを実現する副業も開始。クリエイティブな活動の拠点を探している人と、それを応援しようとしている不動産オーナーを引き合わせる「MaGaRi」をスタートさせました。事業が軌道に乗り始めたので会社を退職、まちづくり会社ドラマチックを立ち上げます。
今では「現代の公民館」をコンセプトに立ち上げた「SOOO dramatic!」やクリエイターが集まる「インストールの途中だビル」といった空間の運営、「隅田川ジャンクション」のようなイベントの開催などさまざまな活動を展開されています。
「公民館みたいな施設としてオープンさせた『SOOO dramatic!』は入谷のまちに開かれていて、結婚式や宴会といったプライベートなイベントから、ファッションショーや展覧会といった人をたくさん招き入れて行うイベントまで、幅広く活動が展開できるようになっています。基本、設備を壊したり、ご近所に迷惑が掛からないものであれば断ることはないですね」
多様なイベントがたくさん開催されていれば「面白い人が集まる街」「面白いことを受け入れる土壌」というイメージが共有されるようになり、人と人のつながりも生まれ、結果的に地域価値が向上するという今村さん。地域のお店を訪ね歩くウォークラリーを企画するなど地元愛の醸成をはかりつつ、昔からそこで暮らしている人たちとのつながりも広げています。
「SOOO dramatic!」の2階には今村さんの会社、ドラマチックも入居するものづくり系シェアオフィス「reboot」があり、入谷に今までいなかったような人たちが集まってきています。
「こうした活動をやっていることが広く知られるようになったら、今度は大きな会社から地域の面白いお店や人の紹介を頼まれるようになりました。大企業が地域に関心を持ってくれるのはうれしいから、積極的に紹介しますし、それをビジネスとしてさせていただく機会も増えてきています」
物理的な空間をつくるだけでなく、「東東京マガジン」というまちを紹介するメディアを立ち上げたり、面白い人をつなぐマッチングビジネスを展開したりするなど、東東京をベースに「これだ!」と思ったビジネスを展開している今村さんのプレゼンからは、「まだまだ、まちに対してできる余地はある」という前向きな姿勢が伝わってきました。
「いつか自分の住むまちに根差したフリーペーパーをつくれたらいいなともやもやと思っていたんですが、育児や仕事に追われて先延ばしにしていました」
町田市玉川学園のフリーペーパー「玉川つばめ通信」の発行人、宇野津さんのプレゼンは個人的に温めてきた思いの告白から始まりました。宇野津さんが一歩踏み出そうと思ったきっかけは2011年の東日本大震災。近所の人に助けられた経験から、地域というものをより強く意識するようになったと言います。
「もうひとつのきっかけは、子供の小学校でPTA会長になったことです。誰もやりたがらない面倒な役なんだけど、人とのつながりができるいい面を感じながらやろうと思ったんです」
PTAで一緒に仕事をしたことをきっかけに、玉川学園の商店街を紹介する冊子の制作を依頼された宇野津さん。その冊子をつくる際に感じた疑問が、彼女をフリーペーパーの発行へと導きます。
「自分の好きなお店について記事が書けると思ったら、スポンサーである商店会に加盟していないお店は載せられないと言われてしまって…。それじゃ、本当の意味でまちの良いところを紹介したことにならないよなと、すこし悲しい気持ちになりました。そこで、どうしようどうしようと考えて、じゃあ、自分でつくっちゃえばいいんだ!と『玉川つばめ通信』をはじめたんです」
「玉川つばめ通信」は、宇野津さんの「私」目線で書かれた記事であふれています。大好きなもの、紹介したいものをぎっしり詰め込んだ紙面からは、まちに対する愛情が伝わってきます。
「でも、はじめてみてわかったんですけど、結構お金がかかるんですよね。あと、基本、誰かから依頼されてつくっているわけではないので、ノーギャラ。当たり前なんだけど、今までずっと人からお金をもらって記事を書いていたので、これは本当に困っちゃって」
宇野津さんのプレゼンは紙芝居形式。ぺらっとめくって、コメントを加えるたびに参加者のみなさん、ほかのパネリストのみなさんの大きな反応が起こります。
「いろいろ課題はあって、いろんな人からいろんなことを言われて、疲れちゃったりもするけれど、場当たり的にできることからやってみる。私はいつも動いてから考えるから」
勝手に始めた「玉川つばめ通信」も一年で商店街の40店舗以上に置かれ、まちの人たちにとって欠かせないフリーペーパーになってきました。いまでは、関連イベントも立ち上がるほどに育ってきています。
「ファッションの世界でキュレーターという立場の活動をしているんですが、実際何をしているかというとおでん屋さんなんですね」
宮浦さんのスライドに「キュレーター → おでん屋」と映し出された瞬間、会場に大きな笑いが起きました。
大学を卒業後、ファッションを学ぶためにイギリスに留学、生地の巨匠に師事し、日本の繊維技術の素晴らしさを教えられたといいます。
「日本に帰ってきて、まだ半分学生みたいな雰囲気だったので、片っ端から生地産地の工場に電話して見学に行きました。尋ねて行ってみると、生産者が減って、技術を伝えていくことが困難になっている産地もあって、これはかなり深刻だなと」
海外でも評価されている生地が消えていこうとしている。本来は、ファッションを生み出していく仕事をしていたはずの宮浦さん。いつの間にか、全国の産地を巡って手に入れた生地をデザイナーに紹介する仕事をはじめていました。
「最初は人と人をつなぐイベントを開いて紹介するみたいなことでやっていたんですが、だんだん限界を感じて、実際にいろいろな人が集まれる場が必要だなと思いました。当時は本当にお金がなくて困っていたんですけど、なんとか月島の長屋を安く借りることができて、セコリ荘をオープンさせることになりました」
セコリ荘はカフェやおでん屋という飲食、衣料や素材を扱うショップで、イベントを介してさまざまな年代、職種の人が集まる場所。最初は地域を強く意識していなかったそうですが、ご近所の方がいろいろと面倒をみてくれたことがきっかけで、まちとのつながりが強くなってきたといいます。
「東京にはいろいろな人がいて、たくさんのものがあるんですが、僕としてはもうちょっと特化したというか、産地に近い場所にもつくりたいという思いもあり、セコリ荘金沢をオープンさせました。繊維の産地にも近いので、工場ツアーなどを企画することもでき自分のやりたいことが実現できる場になってきているんです」
まだオープンしたてということで地域とのつながりはできていませんが、北陸のもつ力を発信していこうと生地以外の商品も扱うなど工夫をされています。
「これからやりたいことはたくさんあって、セコリ荘を全国の産地の近くに作りたいですね。あとはショールームやファクトリーみたいに情報を発信したり、みんなで集まってものづくりをしたりする施設ができたらいいなと思っています」
“課題解決 × 楽しい → 着手”と書かれたスライドが映し出されると、参加者のみなさん頷いていました。
今回の企画は、シビックエコノミーを追いかけている江口さんをファシリテーターに、実践者3名にお話いただく構成で組み立てられました。
ふたを開けてみると三者三様、規模やアプローチの仕方も異なりますし、これから着手される次の展開も異なっています。ただ、共通して感じられたのはまちに対する「使命感」です。
今村さんは東東京に眠っている「面白い」を引き出して、いろいろな人を巻き込んでいくために次々とアイデアを投下されています。「まちづくり会社」といっても都市開発のように建物をつくるのではなく、上手く回る仕組みをつくる。
それも「こんなサービスがあったらいいな、こんな人がいたらいいな」という基準でつくられています。次になにか出てくるとしても、それはまちの課題を解決するための「なにか」であって、特に形にはこだわらないという姿勢には今村さんの柔軟さとしなやかさを感じました。
宇野津さんは玉川学園という小さなまちの魅力を自分目線で発掘し、伝えていくことをスタート地点に「もっともっとまちを良くするヒントがあるんじゃないか」とまちのもつ力を探っています。さまざまなしがらみや規模拡大による労力の増加など多くの悩み事をかかえながらも、前向きにできる範囲で「まずはやってみる」という姿勢は、多くの参加者の共感を呼びました。
宇野津さんのように、本業の傍らで、家事や育児をしながら行動を起こしたいと思う人はこれから増えてくるでしょう。そんな方々に勇気を与えるようなプレゼンでした。
宮浦さんは、ひとつの地域というよりは全国の産地という職人のまちを強く意識しています。産地をなくしてはいけない、そのために自分ができることをする。キュレーターとして産地に関わるだけでなく、おでん屋やカフェを介して人のつながりを生み出す。
そこから地域との強い絆が生まれる。その形は、宮浦さんの活動に周囲のみなさんが共感しているからにほかなりません。生地、産地をもとに地域にいろいろなコミュニケーションを発生させようとしているこれからの展開にも注目です。
まちと向かい合う、そしてまちの中で小さく経済を回していく。これからの社会で重要になってくるテーマです。終了後の懇親会では江口さん、パネリストの方々の周りにたくさんの参加者が集まり、活発な意見交換がおこなわれていました。
地域の中での小さな経済に対する関心の高さを感じることができた夜でした。
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