2014.4.16
マチノコトでは日本全国津々浦々のマチの取り組みを紹介しています。様々なマチの取り組みについて耳にすることが多く、都会でも地域でもアクションが増え始め、徐々に「地域のために何かしたい」「いつかは地元に帰りたい」といった声を耳にすることが以前にもまして増えてきているように感じています。
年度初めである4月に2014年こそ「地域元年」だ!と、地域クラウドファンディング FAAVO が主催、全国にco-baを展開しているツクルバが共催となってイベントを開催しました。会場は東京都渋谷にあるコワーキングスペース co-ba Library。『地元ベース 〜なまっていいとも!〜 』というタイトルで、東京にいながらも、地域・地方にアプローチできる未来を考えました。
参加者のみなさんは、まずツクルバ作の「まちかるた」を使って互いに自己紹介。引いたカードに地元に関する質問が書かれており、その質問に対して地元のなまりで答えるというもの。すんなりと方言が出てくる人、方言は出てくるけど質問の答えがすぐには浮かばい人、方言がなかなか出せない人など様々でしたが、各グループ盛り上がりかなりのアイスブレイクとなった様子。
アイスブレイクが終了した後は、地域で活躍するゲストスピーカーによるショートプレゼンの時間に。
最初にプレゼンしたのは、日南市マーケティング専門官というお仕事をされている田鹿 倫基さん。
前職は日南市の市長が公約に、市役所の中に民間人ポストを用意する、というものを入れたことがきっかけで中国・北京から日南市へ。人口も右肩下がり、毎日700人のペースで減少しており、一日あたり220万円の損失が出ているような状態にあるという日南市。その日南市の経済を建てなおしているという田鹿さん。
民間人が役所の中に入っていったことで、役所が急激にIT化したそうです。これまではスケジュールの共有が行われておらず、会議の設定をするのに一人ずつ聞いて回っていたため、時間がかかっていたんだとか。
スケジュール共有ソフトを導入して効率化させ、チャットを使って業務の遂行をするようになり、会議の日程調整は「調整さん」で、Skype会議も少しずつ導入するなど、少しずつ変化が起きたそうです。
他にはメディア露出の増加といった影響も。これまであまり十分に広報戦略をとれていなかった日南市。行政職員は5年ほどで部署異動があるため、広報課にノウハウが蓄積されていなかったことが原因でした。企業とのコラボを徐々に増やすなど、広報面の課題や行政組織としての課題もクリアされるようになってきているそうです。
田鹿さん自身には、宮崎のおいしいものを食べ過ぎて太ってしまったこと以外に、東京とは異なる多様性ある社会で生活し、最先端の仕事に触れられているという影響が出ているそうです。東京にいると付き合う人間は業種や世代が偏りますが、日南市では職業と世代の人と仕事をすることができていて、東京とは異なる経験ができていると、田鹿さんはコメントしていました。
続いてプレゼンしたのは茨城県の水戸市出身ながらも、現在は福岡で子育てをしつつ、東京都の2拠点居住をしている須賀 大介さん。
26歳のときにウェブマーケティングの会社を起業。そのあと仕事に邁進してきた須賀さん、もう少しその先にある人とのつながりやてざわりがあるものを作りたいと感じていた矢先、親友がイチゴ農家に就農しました。
培ってきたノウハウを農業を応援することに使えないかと考えた須賀さんは「ママンカ市場」という下北沢お寺でのマルシェを開き始めます。4年間毎月開催しているというこのマルシェでは農家さんとコミュニケーションをとることができる場所をつくり、共同で商品開発も行ったりしてきたそうです。
他にもいろいろな事業をされていた須賀さん。次第に、農家を応援したい、地方を応援したいという想いが強まり、東京にいるままでは本当の地方の姿を知ることはできないことがもどかしくなりました。西村佳哲さんの著書『いま、地方で生きるということ』を読み、「スキル、手法、手段 < あり方」だ!と感じた須賀さんは、人生を、自分のあり方を再構築しようと移住を決意。会社のスタッフとも対話をしながら、1年半前に福岡県・糸島エリアに移住。
糸島では徒歩3歩できれいな海に行けるような場所に住まれているんだとか。自然農で農業をしながら、仕事をし、子どもと一緒に過ごす時間も増えたそうです。なにより、お子さんの表情が明るくなったことが大きい、と須賀さんはコメントしていました。
そんな須賀さんが取り組んでいる活動の一つが「福岡移住計画」。京都移住計画の田村さんとの出会ったことや、実際に人が移住しその土地に根付いていくためにはサポートが必要であると感じたことから、スタートした活動です。
須賀さん自身も福岡R不動産にサポートしてもらったことなどもあり、自分が得たものをこれから来る人にも提供していきたいとの考えている須賀さん。どこで、だれと、どのように生きるのか。そんなことがテーマとなっているんだとか。
以上の3つの
ことが、須賀さんが移住者に向けて実施していきたいこと。糸島では今、元々スーパーだった場所をカフェとショートステイができる空間へとリノベーションしている最中。
「自分に太い根っこが生える感覚が生まれた」と語る須賀さん。自分の名前で地域で生きていくことについて、楽しそうな表情でプレゼンされていました。
続いては、法政大学の学生でありながら、宮崎の野菜を使ったスムージーの宅配サービス「VEGEO VEGECO(ベジオベジコ)」を運営している平林 聡一朗さんのプレゼン。
スムージーのレシピと宮崎の野菜を中心とした一週間分の食材が届くようになっている同サービスは昨年の5月にローンチ。宮崎の野菜をいろんな人に知ってもらいたいとの想いからこのサービスを始めました。主なユーザー層は野菜を買いたい人がいる中でも、美意識の高い人や流行に敏感な人だそうです。流行りのスムージー文化を宮崎のものにしようと目標を掲げ、若い層が魅力に感じるようなサービスを作っています。
そんなサービスを運営する平林さんには、「宮崎を農業から盛り上げて若者が集まれる場所にしたい」というビジョンがあります。元々、将来の夢は国際連合に入ることだったという平林さん。アメリカに留学したり、大学は国際政治学科に入ったりと、目標に向けて努力を重ねていました。
自分の常識を覆す東日本大震災を経験した後、目標に変化が訪れます。友人が被災地のために活動していて、自身も同じ場所で活動していたという平林さん。2年ほどが経過し、あるとき地元に帰ったときに、家族と話していて、宮崎もこれまでに「鳥インフルエンザ」や「口蹄疫」など、様々なことから農業への打撃を受けてきたことに気づきます。
そのときから、対象を地元・宮崎へと視点を変え、地元を盛り上げようちう活動を始めました。学生である自分にできることはなにか、そう考えた平林さんは、雇用を自分たちで生み出すことも含め、若者が帰ってこられる場所を作ることに。
ゆくゆくは世界に宮崎の良さを伝えたい、シチリアだって世界的に有名になれているんだから、宮崎だってできるはず、と語る平林さん。エネルギーいっぱいのプレゼンに、参加者のみなさんも笑顔になっていました。
最後を飾ったのは、NTTレゾナントで働かれている渡部 宏和さん。gooというポータルサイトを運営している同社の中でも、gooの福島版やgooの富士山版などを立ち上げるなど、エリアを限定したローカルなポータルサイトを立ち上げてきています。
福島版ではふくしまの情報を掲載したり、ユーザー参加型のコンテンツ開発をしたり、みんなで作るポータルサイトを作りたいと考え、色々な活動をされています。アイデアソンを実施した結果、数多くのアイデアが生まれ、その中から「ふくしまガール」という新たなコンテンツも登場したそうです。
goo富士山版ではコーズ・リレーテッド・マーケティングと呼ばれるものを実施。ポータルサイトを使ってもらった収益の一部が、富士山美化の寄付に回るようになっています。ピリカというゴミ拾いアプリと一緒に、富士山が美しいということを見える化しようと富士山の周りのゴミを撮影してシェアしてもらうなど、富士山美化に関連した企画も実施。富士山といえば銭湯!と、銭湯の絵師さんにgooの富士山の絵を江戸川区の銭湯に描いてもらうといった活動もしているそうです。
ポータルサイトとして、上記のような活動を実施し、ポータルサイトの運営を通じて、人々は想像以上に地域を心理的なもので捉えていることを実感した、と渡部さんはコメントされていました。
質疑応答の時間では、最初東京に来た時には地方に対してどういった感覚を持っていたのかだったり、実際に大変だったことはなんだったのかなどの質問が。東京から地方にアプローチした先駆者たちの経験が気になる参加者の方が多くいらっしゃいました。
今回のFAAVOが開催したイベントは、各ゲストが次のゲスト候補を紹介して終えるというテレフォンショッキング形式。次回も盛り上がりそうです!拠点が増え、FAAVOのようなサービスも浸透してきている中、地域に対するアクションはどんどん起こしやすくなってきています。
みなさんは今年、地元に対して何をしますか?
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