マチノコト

2016.7.11

スポーツとまちの関係性をさぐって(鹿角市編)ーー「秋田」という暮らしの選択肢

「移住は、手段なのか、目的なのか」

最近の「移住」の取り上げられ方をみていると、ついついそんなことを考える機会が増えました。

日本各地、移住された人の話に耳を傾けてみると、「移住がしたくて、移住をした」という人もいますが、「やりたいことがあったから or 一緒に暮らしたい人がいたから、結果、移住することになった」という人が多いように感じます。

という意味では、都会にいようが地方(田舎)にいようが、まずは自分がどんな暮らしをしたいのか、という問いに向き合うことが大切なのかもしれません。

現状と理想の暮らしのイメージとのギャップを埋めていくために、もしかしたら「移住」という選択肢があり、自分(あるいは、その家族)にフィットしそうな地域の選択肢があるはずです。まずは選択肢を知ること。この特集では、秋田という選択肢について考える参考になればと思います。

Aターン」「北秋田編」に引き続いて、鹿角編をお送りしています。前回は、Iターンされた田渕博之さん(りんご農家)にお話を聞きました。鹿角市がどんな地域なのか、また田渕さんについてはこちらをご覧ください。

今回は、鹿角市にUターンされた黒澤正幸さん(スポーツトレーナー)をご紹介します。

戻るために技術を磨いた2年、地元ならではの働き方

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鹿角市出身で現在36歳の黒澤さん。高校卒業後には、地元の味噌・醤油醸造元「浅利佐助商店」に就職し、約14年間を勤めます。その間、21歳で結婚し2人のお子さんに恵まれました。

子どもが成長するなか、クラブ活動で教える機会も増え、スポーツを教えることがおもしろいと気付き、現職のスポーツトレーナーを本格的に目指しはじめます。「いつか陸上を教えたい、とずっと奥底にあった」と自身の陸上経験も重なり、技術を学ぶため地元を出て単身で横浜へ。

転勤先はスポーツ整体のサロンとリラクゼーションの場で、それぞれ1年ほどの仕事を通じて、専門的な知識と技術を身につけてきた黒澤さん。特に期間は決めていなかったそうですが、技術面が整ったと感じた2013年に家族がいる鹿角へUターンします。

その後「K-sports lab」を屋号に、個人事業主として活動を開始。当てもないままに、地元で仕事づくりをはじめたそうですが、子どもらが通う小学校・中学校の部活などでのニーズを見つけ、部活単位ではもちろん、個人におけるフィジカル・メンタル面でのサポートを行うようになりました。

個人事業主として自分のペースで仕事ができるようになったものの、まだまだ落ち着かない日々が続くそうですが、その中での変化も。横浜時代に比べると睡眠時間が増え、「秋田に戻ってきてからは『寝れる』という感覚はうれしい」と黒澤さんは言います。そういった働き方の変化は、仕事の細部にもつながっているようです。

「一つひとつの仕事も、せかせかしている感覚が都会ではありました。だけどこっちでは焦らずにできる。クライアントとがっちり向きあう時間が増えました」
お客さんとのコミュニケーションの違いも感じる、と黒澤さんは話します。「都会は、自分のことをガンガン言ってくれる子が多い。鹿角だと、引き出すところからはじまる」とのこと。相手が自身のお子さんの同級生だった場合は、お子さんを通じてコミュニケーションを図ることも時折あるとか。ここが鹿角ならでは、いや、黒澤さんならではなのかもしれません。家族経営ともいえますが、地域に根ざしているがゆえの仕事術ともいえます。

やらない子のポテンシャルを引き出せる場をつくりたい

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スキージャンプの練習に励む、鹿角の子どもたち。

陸上・野球・サッカーなどの競技を問わず、多種多様なスポーツを通じて地域の子どもたちと向き合っている黒澤さん。「鹿角市の魅力は?」と聞くと、「子どもの身体能力が高い」と答えます。

「子どもたちの能力をどう引き出してあげるか、伸ばしてあげるか、自分の手腕にかかってると思っています。鹿角の子どもは引っ込み思案な子が多くてもったいない。能力がある子ほど、大事な場面で引いてしまうんですよね。ただ、この壁を超えるとどこまでもいけそうなポテンシャルはあります」

鹿角のスポーツ振興のために個人で活動していますが、「施設はもちろん、子どもたちがスポーツで遊べる場所や、その機会をもっと増やしてほしい」と地域全体の課題も感じることも。省庁などの管理で、担当者がいないと活動できない施設や場所が少なくないとのこと。地域全体として子どもとスポーツに対する向き合い方を向上させるための模索は続きます。

「やる子はやるんだけど、やらない子をどう巻き込めるか。そういったスポーツの入口をつくるための機会をつくりたい」。その問題意識には、黒澤さんの子供たちの可能性に対する想いが根底にあります。

鹿角にスポーツ集団をつくる、担い手を育てる

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今後についてお話を聞くと、鹿角にスポーツチームをつくりたいと話します。それは、一つのスポーツに特化しない、多種多様なスポーツに対応できるチームだそうです。

「身体の動きについてのサポートはやれる。ただ、技術面における不安もあるので、各スポーツのスペシャリストを鹿角に集めたいです。死ぬまでにはやり遂げたい。一つのチームで、あっちの大会こっちの大会と出てるのってなかなかないですよね。個人で陸上やスキーに出る人はいるけど、一つのチームとなったらおもしろいなと」

トレーニング関連の勉強会で鹿角の外に出ることもあるそうですが、その機会を鹿角内でもつくりたいとも黒澤さんは言います。鹿角にスポーツ分野の地域プレーヤーが集まり、さらなるプレーヤーを引き寄せるシカケはどういったものになるのでしょうか。

「まだまだ地域内でも開拓できていない」という課題感はあり、まずは内から、そして外の人も巻き込めるように。じっくりと時間をかけ、地域に根を張りながら進めていくとのこと。そのためにも、現状は黒澤さん以外のプレーヤーが少ないため、「技術者を育成する」ことも視野に入れてます。今関わっている地域の子供たちが、将来、もしかしたら一緒に仕事をするチームメンバーとなるかもれません。

印象的だったのは、お子さんもスポーツトレーナーを目指しているそうですが、「息子がやれる土台をつくってやる」と伝える、黒澤さんの父としての背中の偉大さでした。

なぜ、その土地にいるのか

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国体も行われる「花輪スキー場」が隣接するスポーツ複合施設「アルバス」。黒澤さんはこの場を利用してトレーニングサポートにも取り組んでいる。

ご本人が意識されてるかどうかはさておき、民間主導、かつ、スポーツでまち(づくり)と関わるという方はあまり多くはないように感じます。だからこそ、黒澤さんはそのロールモデルとして今後を追いかけたくなります。

「Uターン者」という枠組みで捉えたとき、一度外に出ることで専門的技術を学び、そこから地元に持ち帰り、子どもたちを中心とした地元の人に還元している黒澤さんの姿は、「都会→田舎」という地方熱が高まるなか、「田舎→都会」という外へ出ることの意味を気づかせてくれます。

田舎にも都会にも、ちゃんと個性がある。その良さを活かし合えることが重要ではないでしょうか。人や情報、技術が集まりやすいのが都会だとしたときに、それらを活用して田舎では何ができるのでしょうか。

その点を踏まえつつ、「なぜ、自分がここ(地域)にいるのか?」という問いについて考えてみるのもよいかもしれません。その地域性を考えることが、まちと関わる一歩です。

行ってみる、という選択肢

鹿角の地域と人については、こちらの映像でもご覧いただけます。もし鹿角という地域と、この地で暮らす人が気になった方は、ぜひ現地に足を運んでみてください。インターネットが普及した現代だからこそ余計に、百聞は一見に如かず、です。もし移住を検討されているなら冬の時期に行ってみると、より地域性や暮らしのイメージを掴みやすいですよ。

大見謝将伍

大見謝 将伍

プランナー。 1988年生まれ。伊平屋島(沖縄)出身。東京-沖縄の2拠点で、カクテル - 場 − メディアづくりを軸とした、つたえる-つなぐ-まぜるための活動を「coqktail」でやってます。 「おきなわ移住計画」代表 -「水上家」管理人 - 「京都移住計画」広報、「焦点街」編集長など。自由研究テーマは、移住 - 民間伝承 - はたらき方 - 商店街です。

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