2015.8.7
川辺は、昔から街並みや賑わいが起こる場所として、昔から日本各地で、さまざまな動きが見られてきました。最近では、改めてその資源を生かしたまちづくりが行われているようです。
土地に根ざした昔からの水辺の文化を継承し続け、そこに新たな取り組みが合わさって、地域の魅力として、発信されていく。時が移ろいゆき、人々の変動もあるなかで、さまざまな動きが重なり合っていくことで、新たに地域へ興味を抱く人も生まれるかもしれません。
岐阜県高山市では、古くから現在まで続く水辺の活動と、高山へ戻ってきた「Uターン」の人々の新たな動きが合わさり、非常に魅力的な地域の流れが形成されています。
8月3日・4日、歴史ある飛騨高山の環境資源、宮川では、新たな取り組みとして「川床を楽しまナイト」というイベントが催されました。
飛騨高山は、日本列島のほぼ中央に位置し、東西を山、南北を河川に囲まれた日本特有の地形を備えた地域。「山中の都」として華やかな町人文化が栄えた街であり、雅な京文化と粋な江戸文化が織りなす町人文化が育まれてきました。
現存する伝統文化財も多く、建築物や彫刻といった古風な文化は、観光客から人気を集めて、海外から訪れる観光客も含め、平日でも大きな賑わいを見せています。
街なかには外国人観光客向けの、外国語を用いた案内が多数見られ、観光客への豊富なホスピタリティーを感じることができます。
多くの魅力を持ち、観光客が集う飛騨高山ですが、そのなかでも特に人気を集めているのは、赤の色が特徴的な中橋がかかっている宮川周辺の地域です。特に宮川では、昔から現在まで、地域の人たちによる特徴的な活動が行われています。
その宮川の川辺で、江戸時代中頃から現在まで、毎日行われているのが、「宮川朝市」。石川・輪島朝市、千葉・勝浦朝市と並び日本三大朝市の一つと数えられています。
毎日約60件の店が立ち並び、季節によって八百屋、花屋、味噌屋、雑貨屋などがあ立ち並び、飛騨高山で暮らす人たちの息づきが感じられる伝統的な朝市です。
「高山ことば」が飛び交うのどかな朝市は、暑い時期から寒い時期まで毎日賑わいを見せており、地元の人からも、観光客からも、愛される取り組みです。
宮川周辺の川辺での新たな取り組みとして、8月3日・4日に行われたのが「川床を楽しまナイト」です。
「川床」とは、料理店や茶屋が川の上や野外で川のよく見える位置に座敷を作り料理を提供するもの。これまで京都や大阪で人気を集め、夏の風物詩とも言われてきました。
今回の「川床を楽しまナイト」の仕掛け人は、飛騨高山の新たな拠点「co-ba HIDATAKAYAMA」の仕掛け人でもある住尚三さん。
宮川に設置された川床からも確認できる「co-ba HIDATAKAYAMA」。飛騨高山の街並み、宮川が穏やかに流れていく様子を眺めながら、作業を行ったり、イベントを行ったり出来るスペースです。
「co-ba HIDATAKAYAMA」は、飛騨高山の新たな拠点として生まれた高山初のコワーキングスペース。
「co-ba」とは全国に広がるワーキングコミュニティ。株式会社「ツクルバ」が2011年12月に「co-ba shibuya」をオープンし、その後も多様なチャレンジが集まる会員制シェアドーワークプレイスとして、全国各地に「co-ba」の動きは広がっています。
「co-ba HIDATAKAYAMA」を運営するのは、高山で印刷屋さんを営み、今回の川床の仕掛け人でもある住尚三さんと高山で建築設計業を営む浅野翼さんです。
もともと高校の同級生だった住さんと浅野さんですが、高校時代は深い関わりがあったわけではなかったそう。東京で社会人として働かれ、世界を旅して回った住さんと、名古屋の設計会社で勤め、アジア圏や日本をバイクで回った浅野さんが、関係を深めたのはお互いが高山に戻ったあとでした。
一級建築士の資格を持つ浅野さんは、旅の途中で立ち寄った「co-ba KESENNUMA」の立ち上げにも大きく関わりました。その後、自身の生まれ育った高山でも、人が集いムーブメントが起きる場所を作りたいと考えたそうです。
住さんは、家業であった高山印刷株式会社の一角のスペースを、人が集まり発信する場所にしていきたいと考えており、浅野さんから、「co-ba HIDATAKAYAMA」の話が住さんにされてから、実現に向けての行動に到るまで時間はかかりませんでした。
高山の素敵な人々が集い、さまざまな持ち場を持った人々が新たな化学反応を起こす拠点作り。高山を1度飛び出し、外で得た経験や蓄積を、戻ったあと、存分に生かしていったおふたりは、プロジェクトに共感した方々から資金提供を募るクラウドファンディングを実施し、見事に目標金額を集めることに成功。
150日以上のセルフビルドを経て、2015年4月25日にオープンして以降、定期的にイベントを開催するなど、飛騨高山の新たな賑わいを生み出す拠点として精力的な活動が行われています。
今回の「川床を楽しまナイト」、「co-ba HIDATAKAYAMA」の仕掛け人として大きな力を果たしているのが、住尚三さん。飛騨高山でこれほどまでに精力的に活動を行われる理由は何でしょうか。
―高山へ戻ってくるきっかけは?
住:理由は2つあり、1つは家業を継ぐために帰ってきました。
もう1つは、東北で起こった東日本大震災です。当時、東京で働いていた私は、地震発生後、自分の暮らしていた家に帰ることができませんでした。子どもが生まれたこともあり、家族と近い場所で暮らしたいという想いもありました。
―もともと高山で川床を開きたいという想いはあったのでしょうか?
住:私は高山で生まれ育ち、その頃は宮川を当たり前にある環境としか捉えていませんでした。しかし、東京で仕事をし、3年前に高山に戻ってきたあと、高山で生活を行うなかで宮川を良い環境だと改めて感じました。
高山にいれば、宮川に関心を抱くこともなかったでしょうけど、戻ってきた3年前頃から川床をしたら面白いだろうなとは考えていましたね。
―川床を開く前と開いた後で、イメージしていたものと行動後の姿に違いはありましたか?
住:最初は出来るかなと少し不安な部分もあったのですが、川床の準備をすすめていくなかで、今回であれば高山青年会議所のメンバーやいろんな仲間たちが、良い方向に力を貸してくれて、徐々に構想が実現へ向かっていった。その過程はとても嬉しかったですね。
本当にやりたいと思うと、周りの人たちが協力してくれて、出来てしまう。それは今回、川床をやってみて感じたことです。
―「co-ba HIDATAKAYAMA」や「川床」を含めて、今後の高山での仕掛けはどういったものを考えていますか?
住:「co-ba HIDATAKAYAMA」としては、まだまだ飛騨高山という土地において、コワーキングというかフリースペースで仕事を行う文化は薄いので、今後その文化を広げていくために、いろんなイベントを企画して「co-ba HIDATAKAYAMA」の使い方を提案していきたいと思います。
「川床」の方では、今回取り組みが成功したことで、色んな方々が今後川床ブームを起こしていくのではないかと期待しています。皆さんやってみたいけど、許可の問題が難しいから出来ないという感覚に陥ってしまっていると思うので、今回の事例から可能性を感じ取り、身近な環境の良さを再確認する動きに繋がっていけば嬉しいですね。
川床が開かれた初日は天候にも恵まれ、約800人が来場。2日目は、7時半過ぎから雨が降り、無念の中止となってしまいましたが、地元の方や他県からの観光客、海外からの観光客など宮川を中心に笑顔溢れる2日間となりました。
川辺では、地元の方々の久しぶりの再会の一幕も見られました。飛騨高山の夏ならではの、風流で賑やかなひと時が広がっていったようです。
初日終了後には、早朝5時から、川辺の清掃作業も行われました。利用者の方のマナーも良く、ゴミも少なくすぐに終了したんだそう。運営者はもちろんのこと、参加者を含めた全員の力で最高の川床が2日間、飛騨高山に作られました。
飛騨高山では、昔から「宮川朝市」など、地域住民の方によって、地域の特色を生かした独自の取り組みが行われてきました。
その高山で生まれ育った人たちが、卒業や就職と同時に地域を離れ、各地で自分にしか出来ない技術や視点を磨き、高山に戻り、従来の取り組みを生かした新たな動きを見せています。
時が変動し、地域を離れる人々もいれば、戻ってきたり、新たに移住したりする人々もいます。それぞれの持ち場から、地域の魅力を発見し、自分なりの出来ることを提供し、重ね合わせていく。
そうした複合的な動きが、地域独自の魅力を発信することに繋がり、新たな地域への興味を生みだすのではないでしょうか。都会発信ではなく、地方から新たな文化を発信していく、そんな流れが生まれているようです。
あなたも自分の魅力と、あなたが想いを馳せる地域の魅力を重ね合わせて、素敵な化学反応を起こしてみませんか?
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