2015.11.10
8・9月マチノコトでは、岐阜県の興味深い動き、そして魅力ある人々の声を記録してきました。
飛騨高山の宮川沿いの取り組み「川床を楽しまナイト」、若者の目線で岐阜の魅力を引き出す「岐阜わかもの会議」や、地域資源である長良川の歴史を生かした「長良川おんぱく」、岐阜・恵那の魅力を岐阜県内外に発信するローカルウェブマガジン「おへマガ」、そして東京で行われた「岐阜ナイト」など、その動きは多岐に渡ります。
しかし、岐阜の各地で活動を行う人々は、地域間の距離の問題から、お互いの存在、盛り上がりは知りつつも、彼らが実際に対面して繋がる機会はありませんでした。
「マチノコト」は、これまで取材した岐阜の各地域のキーパーソン、そして東海圏でさまざまな活動を行う人々に声掛けを実施。飛騨高山に存在するコワーキングスペース「co-ba hidatakayama」で、実践者たちが繋がる場づくりを行いました。
「co-ba HIDATAKAYAMA」は、飛騨高山の新たな拠点として生まれた高山初のコワーキングスペース。普段の仕事場としての運営以外にも、月に1回、高山の社会人が集い、語る交流会が行われています。
筆者が、東海圏の人々が飛騨高山の人々と交流する企画を、「co-ba hidatakayama」の浅野さん、住さんに提案した結果、10月の交流会を「co-ba hidatakayamaでつながらナイト」という形で、場をセッティングしてもらうことが出来ました。
「岐阜わかもの会議」発起人の丸山純平さん、「おへマガ」編集長の園原麻友実さんをはじめ、東海で精力的に活動する7人の大学生・社会人が高山に集まり、その他にも高山西高校から12人の生徒、飛騨高山の面白い生業を持つ社会人10人ほどの計30人弱が参加しました。
10月3日、愛知、岐阜、三重の東海3県、遠くは東京からの参加者も集った「co-ba hidatakayamaでつながらナイト」が行われました。
会場となる「co-ba hidatakayama」は溢れんばかりの人だかり。今回飛騨高山の高校生、社会人に声掛けを行い、場の設定の大部分を担った浅野さんと住さんがお話します。
住さん(写真右):「『co-ba hidatakayama』では、飛騨高山ならではの新しいムーブメントを創造、発信し、他地域の人と交流を生み出す基地として、そしてUターン、Iターンの人が増えればという思いで、日々活動しています。」
浅野さん(写真左):「今日は、高山で勉強し、大学進学や将来について不安を持ちつつも頑張る高校生と、面白いことを仕掛けている大人たちが、交流し、お話することで、皆さんのこれからが可能性に満ちたものになればと思います。」
2人のお話が終わったあと、東海の大学生・社会人を代表して4人が自身の学生時代、取り組んでいる活動について話をする時間が設けられました。
最初に登壇したのは、中京大学4年の石早遥さん。小学4年生まで高山で暮らし、現在は岐阜市に住んでいます。
石早さんは、アニメやドラマに影響され、頻繁に夢が変わる子どもだったと話します。進学先となる大学の決め手も、ドラマがきっかけでキャビンアテンダントに憧れたことが大きいきっかけだったそうです。
石早さん:「影響されやすく、コロコロ変わるので、想い入れも浅くキャビンアテンダントの夢もすぐに消えてしまいました。本当にやりたいことってなんだろうとずっと探していたように思います。
そんな私でしたが、大学1年生の冬に、和紙と竹を使用した巨大数字を象った行灯を長良川に流す『こよみのよぶね』に参加した時に、屋台のおじさんが、子どもに『坊主、大きくなったな』と声をかけている瞬間を見て、両親以外の大人が子どもを見守る環境って素敵だな、残していきたいなと思いました。」
しかし、石早さんには、新たな夢が出来たと同時に、地域のために働くとはどういうことなのか、疑問が生まれます。漠然とした「働く」ことに関するイメージを明確にするべく、岐阜のNPO法人「G-net」で8か月の長期インターンシップを行いました。
学生でありながらも、一社員として責任ある仕事を任せられた石早さんは、学生が社長にインタビューするイベントを運営することをメインに活動を進め、8か月間100人以上の大人に「あなたにとって、働くってなんですか?」と質問を重ねていったそうです。
石早さん:「100人の答えは100通りの人生を教えてくれました。働くとは何か、地域のために何をすればいいか考えていた私が、憧れるような人生、面白い人生を知って、少しずつ夢の形が定まっていきましたね。」
1992年生まれで社会人1年目の坂本佳苗さん。2015年3月に中京大学を卒業後、東京の教育系NPOに就職。中高生が自分の個性を生かし、自分だからこそ出来ることを実感できる場を構成しています。
新卒で教育系NPOで働く決断をした坂本さんは、どんな高校時代を過ごしていたのでしょう。
坂本さん:「高校3年生の学園祭でミュージカル的なことをやったんですが、いろんな人と1つのことを考えて実現するのが凄く楽しかったんですよ。だから、大学に入って、大学祭の実行委員になったら楽しくなるかなと。」
しかし、実際に大学進学後は、自由度が高く、選択肢の多すぎる大学生活のなかで何をすればいいのか分からなくなってしまったと話します。高校時代に描いた大学生活とは、違った状況。そこからどのように動いていったのでしょうか。
坂本さん:「大学2年生での家族との出来事、3年生での初めての1人旅、ボランティア活動を経て、人の役に立つために実際の場面に合わせて行動することを考えるようになりました。
大学4年生の頃には、『Social×Dialogue』という社会のこと、自分たちが社会のために出来ることについて話してみる場に参加して。緩く結びついたそのときのメンバーが今回、高山にも来てるんですよね。」
坂本さんの紹介でマイクを渡されたのは、坂本さん同様、名古屋の教育系NPOに新卒で就職された後藤恵理香さん。今回、東海から高山に足を運んだ大学生・社会人のほとんどは今年1月の「Social×Dialogue」という場づくりで顔を合わせており、現在までグループをつくり、定期的に情報共有を行っています。
後藤さん:「仕事選びの上でも、自分が成長できるステージとしては東京の方が良いのかもしれないと思いましたが、実際に働いてみて、地域で暮らしの部分を大切にしながら働くことも重要だと感じています。
名古屋にいながらも、日本各地へ出向き、さまざまな役割を果たすことが出来ていて、改めて出来ない理由を場所のせいにすることはないなと。数ある選択肢のなかから何を選ぶべきかしっかりと考えていきたいと思いますね。」
続いて登場したのは、以前マチノコトでも登場した「岐阜わかもの会議」発起人の丸山純平さん。
岐阜大学地域科学部4年生(休学中)の丸山さんは、高校時代まで高山で過ごし、現在は「岐阜わかもの会議」をはじめ、フリースペース「Hello-G」の運営など、さまざまなプロジェクトに関わっていますが、大学1年生までこういった活動に縁はなかったと話します。
丸山さん:「中高のときは、学校が終わったらすぐ家に帰り、ゲームをする毎日でした。将来に対しても、『安定している』という漠然としたイメージから高山市役所で働ければと、今の学部に進学しました。
大学に入れば少しは生活も変わるかなと思いましたが、1年生の終わりごろまでは変わらず、大学が終わればゲームをする日々が続いていましたね。」
転機は大学1年生の終わりごろに、大学の可愛い女の子からフリーペーパーを作らないかと誘われたのがきっかけだったそうです。
丸山さん:「学生団体『岐阜人』が発行していたフリーペーパー『GIFT』に、僕も文章を書くことは嫌いではなかったので参加して。
携わるうちに、学生だけで取材から編集、営業、企画、広報、イベントまで全て自分たちで行うことに凄味を感じ、熱中し、のめり込んで、フリーペーパー部門の編集長から、団体の代表を務めるようになりました。」
大学卒業後は高山に戻り、高校生、大学生が主体的に関わっていける高山を作っていきたいと話します。
丸山さん:「岐阜でさまざまな活動を行うなかで、岐阜をなんとかしたい、良くしたいと考える素敵な仲間と出会いました。
若者の過疎化、地域での病院の有無など困難もありますが、その壁にどう立ち向かっていくか考える仲間をさらに作っていきたいですね。
そのためにも高山に観光と国際を学べる市立の大学を作りたいんです。高山には大学がないので、高山で学び、働いて行ける環境と循環を整えていきたいと考えています。」
最後に登壇したのは、丸山さん同様にマチノコトに以前にご紹介した恵那のNPO法人「えなココ」、ローカルウェブマガジン「おへマガ」を運営する園原麻友実さん。28歳の園原さんは、岐阜県中津川出身。5年前にUターンし、まちづくりを仕事にして2年が経ちました。
園原さん:「私は高校時代進学校に通っていたのですが、3年生の9月に受験勉強を辞めました。だから、大学には行ってないんです。田舎で育ち、とにかく田舎を出て、どこかに行きたい。そう思っていました。
20歳の頃、京都の町並みや着物が好きだった園原さんは、『そうだ、京都へ行こう。』と思い立ち、仕事も家も決まっていないなか、京都に足を運び、京都の大学に進学していた友達の家に転がり込んで。」
しかし、京都に来て1週間、たまたま友達に着物会社の社長と出会い、「そんなに着物好きなら僕のところで働けばいいやん」の一言で働くことになったんだそう。
園原さん:「周囲は大卒しかいない業界最大手の着物のECサイトに就職が決まって。当時は私と先輩のもう1人で、ショップを運営して年商1億ぐらい売り上げていました。
だけど、同時に私の人生はこれでいいのかとも考えたときに、1冊の本に出会って、私も1歩を踏み出そうと。高校の頃から国際協力に興味があったこともあり、バックパックを持って、カンボジアへ向かい、結果、3か月半滞在しました。」
その後、25歳で岐阜に戻った園原さんは、現在岐阜県だけでなく、全国各地に足を運び、岐阜を共通項に多様な活動を展開しています。
園原さん:「大学も行ってないし、頭も良くない。だけど、ただただ面白そうだなと思うことをやってきた結果、楽しく仕事をして、今はそれでお金を貰って生きることが出来ています。
いろんな仕事をしてきましたが、本当にやりたいことは分かりませんでしたし、今やっているまちづくりの仕事も、これがやりたいことなのかはわかりません。ちょっとでも面白い、気になることがあればとりあえずやってみる。やってみて辞めたっていいし、やってから考えればいい。
社会に出て多くの出会いのなかで、いろんな人の話を聞いて、影響を受けて、悩んで生きていくうちに、自分が楽しいと思うことでお金がもらえるようになると思います。」
4人のお話が終わった後は、高山の高校生と東海の大学生・社会人、高山の社会人が交流する時間。イベントが始まってから緊張した面持ちを見せていた高校生も、大学生や社会人の方が1人1人話しかけ、彼らの思いを引き出し、それに合わせた経験談や考えを語り合っていました。
「co-ba hidatakayamaでつながらナイト」は2部構成。夜もふけて高校生が帰宅したあとは、東海の大学生・社会人と、高山の社会人が交流する時間が取られました。
地域それぞれの強みや不足する部分を共有することで、新たなアイデアや、地域間を結び付けるイベントの企画について話す人たちの声も聞こえてきます。1つの地域に根ざして活動を推し進めることに加えて、異なる場所で同じように実践を行う人々と意見交換を行うことで、地域で出来ることが増えるのはもちろん、地域で活動をする上でのモチベーションの向上にも繋がったようです。
今ある活動領域を維持しつつ、新たな発想を加えながら、大小それぞれのコミュニティをゆるやかに広げていくことで、県だけではなく、東海という地域全体で、人と人が繋がり、地域の魅力を増していくことができるのではないでしょうか。
「co-ba hidatakayama」では、今後も岐阜県各地と連携したイベントが予定されています。また今回紹介した各団体も東海だけでなく、日本各地で精力的にイベントを行っているようです。
インターネットが発達し、SNSが発達した今、家にいながらでも、他県の、あるいは他国の動きを知ることが出来ますが、共通のテーマを設けて、人と人との繋がりのなかで、実際に対面して語らえる場を設定することは、日常過ごす生活のなかに新しく、強烈な分岐点を残します。
岐阜県各地の魅力的な動き、今後も見逃せません。
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