マチノコト

2015.9.29

地域の暮らしに触れて初めてわかることーー長野県小谷村に移住した「くらして」を訪ねて

こんにちは、ライターのへるめです。

先日、白川郷に行く機会があったんですが、そこで仲良くなった方がいました。話をしていると、長野県小谷村というところから来た方でした。ただ、その方の地元は「小谷村」ではなく「北海道」でして、今は自分の地元ではないところに移住して暮らしている方。

いまや「地方暮らし」はトレンドの一つかと思います。経済的な豊かさの限界や都市圏の人口の過密化と地方の過疎化に伴い「都会の高級マンションに」「郊外の一戸建てを」というロールモデルは問い直されました。多様化する「暮らし方」の中で特に「地方暮らし」は、これまでマチノコトでもいくつか取り上げてきました。

ただ、実際、どうなんだろう?というのが僕の本音でした。

話は戻りますが、白川郷で用を済ませた僕は「せっかくだし!」という思いもあって、その方へお話しを聞かせていただくことにしました。ですので、今回は普段のマチノコトとは違うテイストの僕の探訪録となります。

ちょっと勢いで取材したところもあるのですが、思った以上に考えさせられる機会にもなりました。少し長くなりますが、“地方で暮らす”ということ、そして、今の時代に“日本で暮らす”ということに関心のある方にはぜひ、読んでいただければと思います!

小谷村の大網

縁あって、訪ねたのは、真っ白い雪原の広がる小谷村の大網(おあみ)。

村の人口は3000人ほどで、50個以上の集落に分かれています。その中でも大網は端の方に位置しており、村全体からみると大きな集落です。

おたりむら6

お話を聞いたのは、大網に移住して、暮らしている「くらして」の方々。「くらして」は、2組の夫婦、4人のチームです。

活動としては、昨年の4月からはじまり、それぞれが思い思いのことをやっているのだそう。具体的には、畑や田んぼを耕したり、村のおばあちゃんの暮らし方からいろいろなこと(生活の知恵など)を学んだり、林業や狩猟をしたり。また、「つちのいえ」という宿泊施設を運営しながら、村外の人を招いたり、小谷村の暮らし方を体験出来るワークショップを開いたりしているんだそうです。

今回は、偶然、白川郷でのワークショップで出会った「くらして」のメンバー「さっこ」こと前田聡子さんと、メンバーの一人である「なべちゃん」にお会いでき、お話を聞かせていただきました。

最初にお話を聞いたのは、さっこさん。

なべちゃん15

もともと北海道出身で野外教育プログラムに参加した際に小谷村を生活の拠点としたのが村との出会いなんだそうです。現在は、依頼ベースでフリーのカメラマンの仕事をしながら、小谷村で暮らしています。

「くらして」のメンバーの中では、村の“外”にしばしば出て行く役割で、小谷村のことを発信しながらも外のいろいろな人とつながって、小谷村に連れてくるような動きをしているそうです。

おたりむら5

まず、くらしては普段どんな活動をしているか、お聞きしました。

さっこさん:「くらしての活動の基本は林業です。だけど、冬は林業ができないので、毎週末イベントをやりました。炭焼きのイベントをしたり、鹿の解体をして、皮をなめして暮らす道具をつくるってワークショップをしたり、ライブもしたり。そうやってイベントをいれると、宿泊込みでお客さんが来てくれて。そんな中で、自分たちがやっている暮らしの活動を伝えたり「「暮らすこと」ってどういうことかなぁ?」とか「都会と田舎ってどっちも必要かなぁ」とか、そういうことをいろいろ話したりしながら、一緒に学ぶ機会をつくりながら、暮らしていく、みたいなことをやっています。」

「くらして」のイベント場所としても、小谷村の宿泊施設としても活用されているのが、「くらして」が運営する「つちのいえ」。1階部分の3分の1がとちもち工場で、3分の2が共有スペースになっています。キッチンや居間、囲炉裏があり、2階が寝室。去年の9月に完成したのだそう。

おたりむら3

「つちのいえ」をつくるキことになったキッカケは、「くらして」のメンバーのあやかさん。

村で集落支援員として働く彼女は「とちもちの会」があったのを知りました。「とちもちの会」は村のおばあちゃん方で運営され、4,50年、「とちの木」の実を「とちもち」として食べれるようにする特殊な調理技術を継いでいた会でして、今はなくなっていました。あやかさんは「それを復活させよう!」と若い女性の方々でおばあちゃん方に「とちもち」のつくり方を学び始めたのが直接のキッカケになりました。

なべちゃん13

その後、1年かけて、とちもちづくりの工程を学んでいるとき、小谷村の役場の方々が「若い人に伝承するのだったら、新しいとちもち工場が必要だろう」と思い立ち、「せっかく新しく建てるなら!」と役場側で体験交流施設や農家レストラン、民宿などの様々な併設プランが上がったんだそうです。ただ、その中で「くらして」の方々の気持ちは複雑でした。

さっこさん:「役場が勝手に建物つくって、「はい、やって」って言われるのもいやだったんです。だから、設計の段階から関わらせてもらいました。そこで、じぶんたちがどんな場所だったら、いいかっていうワークショップをして、自分たちがここで感じている大事だなぁと思うことを共有していきました。

その中で「ちゃんと宿泊の許可が取れている宿泊施設があると滞在しっかりしてもらえるから、いいよね」ということになって。じゃあ、山小屋みたいに、みんなが泊まれて、共有スペースがある場所がつくろうっていうので設計士さんといろいろやりとりしてつくったのが「つちのいえ」なんです。」

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なべちゃん14 

施設はとても綺麗だけど穏やか施設でした。僕としてはずっとかかっているラジオの内容が小谷村の交通情報など小谷村で起きる出来事が9割ぐらいを占めていて、そのローカル感がなんともよかったです。

そのときのために備えたい

「地方の暮らし」は個人的に「自給自足」のイメージがありました。そこで、「大網は野菜は取れるのかどうか」を聞いてみましたが、野菜は地理的な問題で難しいそうです。ただ、一番人が住んでいたときの70世帯400人が食べていけるくらいの田んぼや水、山はあったようです。

さっこさん:今は40世帯70人だから、余りまくっています。けれど、おばあちゃんたちは畑を空けられなくて、今も昔のときと同じだけの畑をやっているの。いっぱい野菜が取れて、全然一人じゃ食べきってないんだけど、やっている。だから、余った野菜はたくさんくれる。売ろうとすると企画を考えないといけないから面倒くさいんだと思う。

おばちゃんたちは、ただ、自由にやりたいだけなの。それもあって、うちらは畑をしなくても、野菜は十分まかなわれるんだけど、でも、いつかはその人たちがいなくなる。そのときに、畑のやり方とか全然わかんないとアレだから、今は一緒にやっています。

ただ、畑はおばあちゃん一人でできるけど、田んぼの方は少し勝手が違うみたいです。

さっこさん:「田んぼは畑と違って、おばちゃん一人じゃできないから、ほとんどもうやっていません。今、たぶん、4世帯ぐらいしかやっていない。だから、うちらが去年田んぼやっていたけど「うちのもやらない?」ってどんどん言われる。

でも、米作りも無農薬とかこだわりたいんだけど、無農薬にするってことは雑草を自分で取るってこと。そうなったとき、広範囲だと薬まかないと無理だよね、ってなってしまう。そういう葛藤が起きたりする。どういう風に折り合いをつけていくかというところ。20人しか住まないなら、20人が食べられるだけの田んぼやったらいいのかなぁ、とも思うんだけど。

でも、もし、未来で400人の人が住むことになったとしたら、そのときもう一回山を田んぼにするのはすごく大変。昔の人は山を田んぼにしたんだよ。その労力は半端ないと思う。ピラミッドつくるイメージぐらいのこと。なんでできたの!?って感じ。今、そういう歴史のある田んぼがどんどん減ってきている。自分たちの分だけ、ってだんだん小さくしていけばいいんだけど、なんかもったいないなぁと思って。それだったら、もうちょっとと思って、うちら食べる分以上に2倍ぐらいは頑張っている。」

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「くらして」では、去年は余ったお米と炭ととちもちとじゃがいもをセットにして「大網便」を50セットつくり限定販売した。大網便はすぐに売り切れた。また、田植えや稲刈りの時期になると、あちこちから手伝いにくる人がいて、たくさんの人がさまざまな関わり方で応援してくれているのを感じているんだそう。「ただ、」とさっこさんの話は続きます。

さっこさん:「それでも、おばちゃんたち一人のところが多くて、田んぼは荒れちゃったのもいっぱいある。まだ、200人分ぐらいはあるかもしれないけど、だいぶ減っているよ。でもね、なんか、いつか、“そういうとき”が来る。そして、人間は気づくだろう、と思う。

このまま、こういう集落がどんどんどんどん日本で消えていく中で東京とか、そういう都市だけが残るとは思えない。やっぱり、こっち側も必要だと思う。だから、地方の人口が増えていくような状況も今後起こりうるんじゃないかなぁ、とか思ったりする。そのときのために備えたい。それを信じてね。」

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さっこさんの話は、僕の住んでいるところから離れた雪がたくさん降り積もる山奥の小さな集落の話なのだけど、聞いていると、なんだか他人事ではいられない気持ちになりました。さっこさんは、元々都市部で暮らしていて、今も、都会と田舎を行き来している立場だからこそ気づくことなのかもしれない。ただ、ただの一人の地方移住者の話と聞き過ごすには違うなぁ、という感じがしました。

先人が開拓してくれた200人が食べていけるほどの自然の恵みをわたしたちは無知と無関心から今、自らの選択で放棄しようとしています。そして、このような流れに乗る地域は知らないだけでもっとたくさんあるのだろう。

かたや、都市部では「自給率の低下」や「食っていくために働くしかない」という声が聞こえます。何かできないか、とも思いつつも何もできていないことに少し歯がゆさを感じました。

さっこさんとの話を終え、今度は「炭焼き場」で作業をしている「なべちゃん」のもとに向かいました。

back to Basic–基本を知る

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車に乗り、真っ白な轍をなぞって進むと現れたのが青いブルーシートで覆われた場所。シートをくぐって光とともに中に入ると、炭が付いて黒くなった衣服を着ている方がいました。口ヒゲを生やして、クシャッとした笑顔が素敵な男性、なべちゃんです。

なべちゃん:「大学を卒業してから、いろいろなところをフラフラとして、ようやく10年前のあるきっかけでこの地に居着いた」というなべちゃん。卒業後は、ワーホリでオーストラリアに行き、7日間ほどの山登りが印象的な体験だったそうで、それから山のことやアウトドアに関心を持つようになった。北アルプス中心の山には何日もかけて歩いたことがあるのだそう。「山のことで何かやりたいなぁ」と思っていたところでこの場所にきた。キッカケはさっこさんと同じく野外教育のプログラムだ。」

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なべちゃん「10年くらい前に大網にあるOBSの活動に参加したのがきっかけで。フラフラしていた人生の中で、やっと方向性が見えてきたというか、もうちょっとこうしたらいいんじゃないか、みたいなのを見つけて。自分の人生にとってのいいキッカケになった。」

なべちゃん曰く「腰を落ち着けた」のは、なんとなくのタイミングらしい。プログラムで出会った仲間と話をしたり、ここに住んでいるおばあちゃんやおじちゃんの話を聞いたり、また集落の全体の雰囲気を感じながら、空き家がちょうど出たり、そういうタイミングだったんだそう。

しっかり移り住んでからは3年経つ、なべちゃん。移り住んでから結婚もした、というのだが、式はあげていなかった。そんな話を集落の人に村総出で結婚式をさせてもらうことになったんだそうだ。

今は「炭焼き」をやっているけれど、「くらして」としての活動では他に鹿の解体と鹿の皮でのモノづくりワークショップもやっています。

「いろんなことを感じながら、みんなで話していくっていう場がよかったっていうのもあるけど、命をいただくってこととかそういうことがよかったね。」と話すなべちゃん。

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なべちゃん:「やっぱり今の人は、肉を食べてるけど、それがどこからどういうふうなことになって、今、こういう塊の状態になっているかってのは知らない人も多いからね。ワークショップでは、本当に命を獲るところからってのはなかなか難しいけど、獲った鹿が形あるときから自分たちで皮を剥いで肉にしていく。そして、それを食べる。

その中でいろいろ感じるものがみんなある。加えて、皮を使って、何か形にするものを一つつくる、っていう過程だね。ブックカバーだったり、コインケースだったり、みんなできる範囲でね。そうしてみんな自分の使うモノになるっていうのがすごくよかったと思うよ。自分の目の前にいたものの命をいただくってことをさ、しっかり感じながら。」

なべちゃんの話を聞いている全然恐い話ではないんだけど、なんだかこわいような気持ちが内側からふつふつと出てくる。なべちゃんは優しくゆっくりと話してくれているのだけど、重みというか真剣さというか、鬼気迫る感じが身体の内側に渦巻いてきます。「生きる」ってことについて本当に真剣に話しているからかなぁ、と考えながら、なべちゃんの話を聞き続けます。

なべちゃん:なんかね、「Back to Basic」っていう言い方をしているけど、「基本を知る」というかさ。今はやっぱり現実とかけ離れて生活をしていて、ちょっと見つめ直すところなんだろうと思う。きっとね。

そういう意味じゃ、木も一緒でね、木も一つの命ではあるからね、炭焼きって営みの中でそういうものを一つのカタチにしていけるっていうのはまた、すごいおもしろいことだなぁ、って思っている。夏は、田畑や畑をやってね。

まぁ、完全に自給自足ってことは今の時代ないけど、半分は、自分たちでつくれるもんはつくり、取れるもんは取りっていうところがね。そういう暮らしの部分を自分たちだけじゃなくて、興味のある方に場を開いて、感じてもらえたり、共有できる場をつくりたいねっていうのは「くらして」がやっている一つのカタチなのかなぁ。

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これは、なべちゃんがつくっていた炭。

この後、さっこさんも合流して、これからのことを聞いていました。今は「馬」を飼いたいそう。馬と一緒に山で木を出す昔ながらのやりかたをやってみることや、畑を耕したり、糞を肥料にできたり、試したいと、2人は語ります。馬は雑草を食べたりしてくれて「循環」につながる、「馬は人と共にいた動物だから」という言葉がなんだか心に残っています。

3人で談笑を終えたところで、なべちゃんは山仕事に戻り、僕は、帰りのバスの時間もあって、さっこにバス停まで送ってもらい、東京に帰ってきました。

二人の話を聞いたり、小谷村の環境を短い時間でした。印象に残っているのは、食べることに困ることなく生きていける田んぼや畑が、今、刻々と失われつつある、というさっこさんの話、と、自然とともに暮らしているなべちゃんの姿です。

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実際に尋ねてみて思ったのは、地方の暮らしの現場には、それまでわからなかったことや誤解していたことなど、インターフェース越しに記事を読んでるだけでは気づかない暮らしのリアルがたくさんある、ということでした。いま、地方ではたくさんの外の人に開かれた機会を持っているところがありますが、少しでも興味持たれた方はぜひ、生を体験してもらえたなぁ、と思います。

「くらして」はこれからも小谷村の地に根ざしながら、村外の方に「暮らし」を体験してもらう機会を作り続けているそうです。ぜひ彼らの「暮らし」に少しでも触れてみて欲しいと思います。

それでは。

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