2016.7.21
あなたが子どもの頃にあった町のシンボルは今も残っていますか?
成人式に仕立てた呉服屋さん、家族で行ってた劇場、そして町の中心にある歴史ある建物。故郷の心象として必ずある場所。そこがなくなると聞いても、ほとんどの人は「仕方がないね」と諦めることが多いのではないでしょうか。
自分たちでできることをやる。それを超えたときには外の人にちゃんと助けを求める。それが町のためになるなら。
そんな当たり前のようでなかなかできないことをさらりとやっている、不器用で強面なおじさんたちのプロジェクト「ごえん分校壱番館プロジェクト」が進行中です。
新宿から西へ電車で60分。今回とりあげるのは東京都あきる野市五日市町。江戸時代にはエネルギーや材木の供給基地として発展した町です。
かつての五日市は元気の有り余った学生たちがやんちゃしていました。彼らは先輩たちにいいことも悪いことも教えられ、学生服に刺繍を入れ、バイクで走り回り、けんかを売られたと聞けば他校へ殴り込んだり、と周りから怖がられる存在でした。ごえん分校プロジェクトの中心になっているおじさんたちはかつてのそんな学生たち。
「昔、けんか売られて、でっけえ丸太を持って決闘の場所へ行ったんだよ。そしたらあいつら(かつてのけんか相手)がばっくれやがって、しかも警察が来ちまって。こっちは丸太を引きずって持ってきてるから、すぐに逃げられなくてつかまったんだよな(ごえん分校 南さん)」
丸太置いて逃げたら良かったのでは…(笑)
そんな学生時代の話を酒のつまみに、一緒に町のことを語り合う。強い絆で結ばれた彼らは無事に大人になり、今では、縦のつながりも、横のつながりも、大きな財産として残っています。
高度経済成長からバブル崩壊へと、日本の経済成長の落ち込みに対して、五日市だけが逆らうことは難しく、同時に市町村合併の波にも飲まれ、かつて宿場町として栄えた五日市は時代とともに静かになってきます。
「20年くらい前のことだけど、先輩と飲んでいたある晩、「100万円やるから、自分たちで地元が盛り上がることをやってみろ」と言われたんだ。ありがてえなあと思って、まずは地元の仲間で協力してさ、1回1000人以上の人が応募してくれる、けっこう人気のイベント(自然人レース:1988年〜2006年)を企画するのに挑戦できたんだよね。
結局18年間続いて、こういうのいいなあって。地元の人が一緒に協力してくれたり、外からあきる野に人が来てくれたり。先輩たちのおかげでそういう喜びを知れたんだよね。そんなチャンスがなければ、「まちづくり」みたいなことは興味なかったかもしれない。(ごえん分校 田中さん)」
不良として振り回し持て余していたパワーは、自分たちを育ててくれた町を守りたいというパワーへと変わっていったのです。
その後、長年の木材提供のつながりから音楽フェスのOTODAMAを誘致、OTODAMA FOREST STUDIOをあきる野で開催。しかし、多くの成功を積み上げる一方、自分たちだけで企画を考え続けることに限界を感じ始めます。
「OTODAMAのおかげで、こんな田舎にこんなたくさんの人が来てくれることにびっくりしたし、嬉しかったんだよね。でも、それでも商店街にお金が落ちることには直結してなくて。イベントするだけじゃなくて、そこから地域につなげることを、相談したいと思ったんだよね。(ごえん分校 中嶋)」
OTODAMAでつながった縁で、地域活性化をやってきたヨソモノとも知り合い、まずは「五日市の活性化に繋がるアイデアが欲しい。」と相談をします。はじめのミーティングは地元3名、ヨソモノ3名。お茶屋さんの一画でアイデアを100本ノック。しかし、出せども出せども、地元からは否定の言葉しか出てきません…。「若い人はいない」「女性は出てこない」など、悲観的。
「関わり始めたきっかけはOTODAMAの方に相談されてちょっと会ってみようと思って…あれよあれよと巻き込まれました(笑)いや、それくらい、地元のみなさんの熱量が高かったんですよね。でも、何を話しても、否定されるし、じゃあ何がしたいのかと聞いても出てこない。自分たちで自分たちの町の可能性を信じられていない状況になってしまっていると思いました。
なので、可能性を広げられる環境をつくる必要がある、と。もっとプラスに考えられる方向にもっていこうと、他の地域の、特に若い人が活躍している地域の事例を学べるような「ごえん分校」という学びの場を提案しました。(ごえん分校 ヨソモノ成木)」
「その発想はなかったので、とりあえずやってみよう、と。このヨソモノのワカモノにやらせてみようじゃないかと。今思えば、ちょっと冒険だったよね(笑)まあ、でも、俺らの地域のことを思ってやってくれてるのはなんとなく伝わってきたから。(ごえん分校 田中)」
こうして始まったごえん分校。はじめは座学中心でしたが、生徒の中から少しずつ「こんなことをやりたい」という声が上がるようになって行きました。野外上映会、廃校フェス、ワークショップ、ジオ部…。少しずつカタチを変えながら、地域のことを話せる場ができていきました。
「2年間続けて行く中で、今まで俺らが呼びかけても来ないような人たちが来てくれるようになったんだよね。下は高校生から、上は70歳の方まで。高校生だよ?えらいよね。あと、地元の人だけじゃなくて、外からも人が来てくれるのも嬉しかったな。え、女性や若者はいない、なんて言ったっけ?(笑)覚えてねえな。まあ、でも、みんな来てくれて嬉しいよね。(ごえん分校 田中)」
田中さんはじめ、地元の方々が、地元のの方々とつながっていくのを見てるのは面白かったですね。みんなすごく近いはずなのに、ここ(ごえん分校)で初めて話すとか。地元について考えていることを世代を超えて話せたり、自分のアイデアを具体化していける場があるのっていいなあって、うらやましく思います。
「私は東京の都心部で生まれ育ったので、いわゆる故郷がないんですよね。そういうのずっと憧れてて。でもここに関わるようになって、自分のふるさとができた気がします。お父さん的な人も、お兄さん的な人も、家族のような人がたくさん増えて、自分の帰って来る場所になっています。私みたいなふるさとコンプレックスのあるひとにも気軽に遊びにきてほしいです。(ごえん分校 ヨソモノ 成木)」
はじめ6人で話していたことが、今では一回に20-30人が集まる場に成長し、町の中で活動のことも知られていきました。
そして、ついに「場所」を見つけることになるのです。
地域のことを学び、実践もしてきたごえん分校。次はどんなことをしようかと話していた時です。かつての五日市町の中心地であり、歴史ある古民家が取り壊される危機にある、というニュースが飛び込んできました。
「噂はこれまでもあったけど、今回は本当らしいぜ」
「町の中心地がなくなるなんて、衰退したって宣言しているみたいで嫌だな」
「いや、そんなことよりとにかく何よりさみしいじゃねえか」
「行政が保護しろよ」
「やれたらやるだろう。でも無理なんじゃねえの?」
「じゃあ、だれかが守れよ、なあ?」
「いや、誰かじゃねえよ、俺らで守るんだよ」
そして町の中心地を守る為に、活動がシフトしていきます。建物を維持するために、管理してくれる人を探し、維持費を捻出するための事業計画やそこで何をやるのかを考えることに。
そして、自分たちだけでなく、共感してくれる人にも協力をあおごう、とクラウドファンディングをすることになりました。今はお茶屋さんやワークショップの場として計画していますが、やっていく中で変化していってもいいと思っています。やってみないと分からないことも多いでしょう。
古民家は改修費はもちろんですが、維持費もかかります。とても残念なことに、ほうっておいたら、どんなに歴史のある場所も、経済には逆らえず、消えて行ってしまします。場所を守るために立ち上がった彼らを応援してもらえたら嬉しいです。
ごえん分校壱番館プロジェクト:
https://readyfor.jp/projects/goen-bunko
ライター:成木恵理子。千葉大学大学院工学研究科建築都市科学専攻修了。東京生まれ東京育ち。故郷がないことがコンプレックスで。「地元から離れたところで故郷と呼べる場所をつくる」を実践中。東京あきる野市「ごえん分校」を発足。空き家を改修した東京人のふるさとづくりのプロジェクトを開始。また、まちづくりコーディネーターとして再開発事業や地方活性化事業をおこなっている。
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