2014.9.22
これまで、まちづくりや地域活性化は「経済」「産業」を中心の発展として考えがちでした。しかし、「経済」を中心にまちを考えるのはなく「暮らす人にとって一番よく生きることができる=「健康」に暮らせる地域」の実現を、地域づくりの軸として考えるまちも生まれ始めているようです。( バンクーバー市「A Health City for All」)
地域の目標を「心も体も健康でいきいきと暮らせるまち」と定め、「健康な住まい」「健康な食事」「健康な仕事」「健康を守る育児」など、”健康”をキーワードにする。これにより、さまざまな分野を統合する目標になり得る可能性がでてきます。
そこで、今回梅雨明けの7月、東京大学にて公開シンポジウム「健康づくりを核に地域づくり戦略を描こう 〜経済中心の活性化から暮らしの活性化へ〜」が開催されました。これは「地域づくりの核として健康は、どのような可能性をもっているのか?」「その実現のために、対話は、どのような役割を担うことができるのか?」という問いを多様な視点で考えていくというもの。
参加者は、北は北海道から南は沖縄まで全国各地から訪れており、医療関係者を中心に、NPO、まちづくりに関わる方などが参加していました。シンポジウムは、発起人のempublic代表広石拓司さんのお話から始まります。
[写真左:広石拓司さん、写真中央:聖路加国際大学 中山和弘先生。]
広石「このセッションでは、一体、マチの健康と個人の健康はどういう関係にあるのか、とか、実際に健康を中心にしたまちづくりを日本でやっていくにはどうするの?という話をみなさんを一緒にしていきたいと思っています。最初は「地域をあげての健康づくりって一体なんなんだろう?」というのを中山先生からお聞きします。
実際に、場をつくっていくためには、いろんな人たちが集まって対話をしていかないといけません。なので、中山先生の次は孫さんからカフェ型トーク、コミュニケーションの可能性についてお話いただきます。そして、最後に色んな課題をあげていった上で、それらをどうやって解決していけばいいんだろう?ということをみなさんとお話していきたいと思います。」
最初はプレゼンターの一人、聖路加国際大学教授の中山和弘さんが、健康における個人と環境の関係。そして、ヘルスリテラシーの重要性について話します。
中山「日本で生活習慣病が増える中で、「ライフスタイル」とか「環境」が健康を決定していると言われてきました。1960,1970年代に「ライフスタイル」が注目されはじめると「そもそも自業自得じゃないか?」と健康の自己責任論が盛んになり、個々人に「ライフスタイル」を変えましょう、という働きかけが始まりました。
ですが、成人に、いくら健康教育をやっても、そう簡単には変わらないし、変わる人もわずかだけ。そこで、「そもそも、自己責任にするのは犠牲者非難であって、ヘルシーじゃないライフスタイルになっている人は実は犠牲者なんじゃないか?」という考えも出てきました。つまり、「そもそも病気をつくっている社会の構造的な問題があるんじゃないか?」という指摘です。
その背景にあったのは「経済優先」の社会。いかに商品を売るか、ということを企業がやっていて、その消費者として私たちはタバコを吸わされ、モータリゼーションによって運動しなくなり、色々便利になっていき、生活習慣病が出てきている。周り周りは「買え」と言っているのに、その中で、本人にそれを我慢しろというのはオカシイのではないだろうか、ということでした。」
健康が損なわれていることを単に個人の責任にせず、個々人の周囲の集団、環境を変えていこうという動き、ヘルスプロモーションが始まったようです。
中山「人々が健康を維持・増進するための技術や能力を高めるために、それを支援する環境の整備としてコミュニティでのアクション、コミュニティへの参加が必要であって、社会まるごと変わっていかないと難しい。
だから、教育プログラムは成功しない人がいても、その人の責任とするのは犠牲者非難であって、その人ができるようなサポーティブな環境をつくりだせていないと考えるべきだ、と考えるようになりました。市民参加で社会を変える。市民の力を使って、環境を変えて、個々人がやりやすい状況にしない限りなかなか難しい。こうしたことが1980年代には言われはじめました。」
人が不健康な原因を考えるときに自己責任論に陥るのではなく、その人をそうさせている集団が背景にある、という社会の構造的な観点も持って、それぞれの観点で考えていかないといけないことがわかってきました。では、そもそも環境というのは、どのぐらい健康に影響を与えているものなのでしょうか。中山先生は話を続けます。
中山「「社会がそんなに健康に影響しているのか」というところで、WHOの健康の社会的決定要因についての調査を紹介します。調査によると、経済格差が健康格差に結びついていることがわかった。例えば、社会の問題、健康の問題、よりも、経済的な問題。
まず、生きることの方が大事、というか大前提。なので、ある意味「健康に気を配れる」というのは、そもそも経済的ある程度の余裕がある状態なのであって、「いかに自分が食っていけるか」ということで精一杯の状態の人はそもそも「健康になろう!」とも思えない。優先順位としてどうしてもこうなる、ということがわかっている。」
その中でも、つながり・他者との信頼関係(ソーシャルキャピタル)の強さが健康に影響していること、つまり、「周囲が健康的であれば、自ずと健康になりやすい」ということがわかってきました。そして、情緒的なサポート(信頼している人がいる、愛している人がいる、ということ)と同じくらい情報的なサポートの価値も上がってきたそうです。
「情報」が仲立ちになって、人々を繋がり、そのつながりが個々人の健康を支えるということのようです。そのように情報の重要性は高まってきましたが、同時に情報網の複雑さとヘルスリテラシー(情報に基づいて健康を決める力。)の重要性を説きます。
中山「いくら情報網が発達しても、(情報が)届いてない人には届いていない。だからこそ、多様なヘルスリテラシーの高い人とつながることが重要。個々人のヘルスリテラシーを上げるのは大変だが、リテラシーの高い人とつながっていくことはできる。今、そんな多様な人々同士が繋がれる多様性に合わせた場づくりが必要になってきている。」
ここから日本における様々な健康を軸にした取り組みの事例を紹介してくれた中山先生。紹介を終え、最後にこれまで中山さんがヘルスプロモーションとか集団を対象とした研究手法、公衆衛生学、統計学を教えてきて思うことを語ってくれました。
中山「とにかくわたしが思うことはいろいろ調査データをつぶさに見て、一気に統計解析をやるっていうこともありますけど、集団を対象にしたデータ解析をやればやるほど思うのは、人は多様だ、ということ。
実際に色んな相関係数出したり、分析したりして、差があるとか言っていますけど、一人一人をグラフにプロットする(点を打つ)と、めっちゃくちゃバラバラなんですよ。だから、学生に教える時にも、グラフを一生懸命見せて、これを統計的にまとめるとこうなります、ってものすごい強調するんですけど、そうするとやっぱりみんなが言うのは、「バラバラですよね、人って」と。
その中でも僅かな傾向見つけているだけですよね、っていう話ではあるんですよ。私もそれは痛感していて、だからといって、みんな個別のアプローチっていうわけではなくて、いかに多様な人たちがいるか、という認識と共に、この人達を一緒に全体を見るっていうためには何があればいいのかって感覚をも持っていかないとと考えている。
みんな(同じ)人だろ、とか、みんな違うだろっていうんじゃなくて、両方考えないといけないから、その難しさも今の話には出てくる。答えとしてあるのは、いかに多様であり、そして、その人たちが集まっている状態を全体でどう見るかってのは、結構難しいよって話だと思います。」
まちづくりにおいて、どのような活動をする上でも「みんな同じ”人”であり、みんな”違う”人」という前提を受け入れることは重要なのではないでしょうか。この前提に立つのは簡単なことではないかもしれませんが、どのような活動をする上でも抑えておくべき前提でしょう。
その視座に立った上で、それでも全体を捉えることでそこに僅かな傾向を見つけていく。そして、そこからどんなアプローチをしていくか。中山先生の話は、現場で実践している人にとって、自らの実践を広く深い観点で捉え直すいいきっかけになったと思います。そして、みんくるプロデュースの孫さんから実際の現場での対話の実践についてのプレゼンに続きます。
〈中編につづく〉
コメント