2016.6.26
「移住」という言葉を耳にする頻度、口にする人が増えるなか、移住を考える人たちの「なぜ移住するのか?」という疑問に対する”そもそも”の話がボヤけてしまっている風潮があるように感じます。
「移住」をしたいから、どこに移住するのか、を考えはじめるのか。もしくは、かたちにしたい暮らしや働き方があって、それらを実践するフィールドとして地方があり「移住」という決断を選ぶのか。原因なのか、結果なのかは人それぞれですが、さまざまな移住のかたちがあり、実は、その選択肢すら多様なんです。
都会から地方へと移り住んだ先輩たちは、どのような暮らしや仕事の変化が出てきたのか。また、どのように地域との関わっているのか。その部分を探っていこうというのが、こちらの特集。今回は「秋田という暮らしの選択肢」について。
秋田移住(Aターン)についてプロローグで触れましたが、北秋田市編では二人の先輩移住者にお話を伺ってきました。北秋田市はどんな地域なのか、また織山友里さんについてはこちらをご覧ください。
今回は、建築デザイナーとして働きながら、コミュニティスペース「KITAKITA」の運営を行っている柳原まどかさんのご紹介です。
秋田県大仙市出身の柳原さん。大学から社会人までの東京での経験を経て、Uターンしました。都内の設計事務所に勤めていた時、群馬で取り組んでいた地域プロジェクトを通じて、「自分たちのデザインしたもので地元の人たちが元気になる姿を見たり、地元の人たちとおしゃべりしたりすることが楽しい」と感じたそう。
そんな原体験もあり「自分の地元の秋田なら、もっと気持ちを入れてできるのではないか」と考え、秋田に戻ることを考えはじめました。そんななか見つけたのが、秋田大館市を拠点にアートプロジェクトに取り組むアートプロジェクトの「ゼロダテ」でした。
ちょうどスタッフ募集をしていたゼロダテは、これまでの経験が活きるだけでなく、「秋田は地元だけど、仕事を通じての知り合いがいるわけではない。ここで働けばまちの人とのつながりが増えるんじゃないか」という想いから、ゼロダテに参画を決め、2013年Uターンとなりました。
当時ゼロダテには、大館市以外に鷹巣町にも拠点を置いていました。そこの配属スタッフとしてKITAKITAの運営に関わることになった柳原さん。しかし2015年に入ると、運営上の都合で、その場を撤退することが決まります。
ただKITAKITAの撤退案が出る少し前には、過去にゼロダテの展示会場で使用した「河哲商店」への移転が検討されていました。大家の河田哲彦さんのご好意も大きかったそうこの。タイミングが、柳原さんの転機となります。
ちょうどその頃、ゼロダテとの契約期間を終えたら独立しようと考え、仕事場を探していた柳原さん。うまくご縁と歯車が噛み合ったこともあり、ゼロダテから場所と名前を引き継ぎ、2015年10月よりKITAKITAとして新たにスタート。と同時に、ご自身の仕事場である設計事務所「コマド意匠設計室」を置くことに。
ギャラリーや貸しスペースとしても場が動いており、月1〜2回ペースでさまざまな形のイベントが行われています。前記事でご紹介した織山さんも所属する、北秋田市で暮らす20〜30代の女性が楽しむ姿を発信するチーム「*menoco」や「秋田若者会議」の拠点としても利用され、ジャンルを問いません。
カフェを備えているので、地元のおばあちゃんたちや観光客の憩いの場としても使われる、多機能っぷり。さらにはシェアオフィスでもあり、現在この場で共に働いてるのが、藏本光喜さんです。
この場を引き継ぎ、リノベーションを進めている最中に、偶然にもKITAKITAに訪れたのが藏本さん。その時は「床もなにもなかった(笑)」とも話します。現在は「あきた保険サービス」を経営し、オフィスをKITAKITAで間借りしています。
元々は、職場のあった大館市比内までは若干距離があり、通うのが大変とのことで鷹巣町で小さなオフィスを探していました。仕事場として借りてみたところ「KITAKITAは自然といろんな人に集まるので、人に会えるおもしろさがある」と、予想打にしてなかった場の価値にも気付いたとのこと。
藏本さんも、柳原さんと同じくUターン者。かつては横浜で暮らしていましたが、都会での子育て環境を懸念して、1992年に秋田に戻ってきました。「夫婦ともに、また、地域で子どもを育てられるような環境がいい」と移住後の変化を語ってくれます。
藏本さんは、Uターン者ならではの悩みをかつて抱えたことも。地元の人に「東京に出て行った人」として斜めに見られてしまう、“地元なのに地元に馴染みくいという”ジレンマを味わったことがあると話します。
ただ、KITAKITAのような場が、「半分地元/半分よそ者」のような人はもちろん、UIターンの立場、世代、職業問わず、さまざまな人を受入れる場ともなっているようです。
柳原さんの移住後の変化として、「完全な地元じゃないから、地域で介入しなくてもいいこともあって、その立場に助けられていることもある」と地域との関わり方について教えてくれます。
仕事に関しては、“忙しさ”という点では東京時代とさほど変わりはないそうですが、移動時にその違いを感じるそうです。
「東京と同じ忙しさで働いていても、人が多い中での移動と違って、歩きや車での移動中に見える自然の風景が気分転換になって、気持ちいい生活ができています。ちょっと行けば、川も山もあって、自然の環境がいいなぁと感じます」
「食」に関する変化としては、河田哲彦さんがご自身でつくる旬の野菜・果物をお裾分けしてくれたりと、買わないものが増えたとか。
KITAKITAという場所は、新聞で取り上げてもらったこともあり、「自分の知らないところで噂が飛び交っている感じがうれしいです。そこから遊びにきてくれる人もいたりもします」と話します。また、柳原さんの友達の友達がきてくれたり、口コミで広がっている感覚も。地域に根ざしているからこそ、反応を直に感じやすいのかもしれません。
個人として、KITAKITAとしての今後の展望を語ってくれた柳原さん。まずはあくまでも、本業の設計事務所としての基盤を固めていきたいとのこと。
「仕事をする場所が第一にあって、その場を地域にひらかれた空間にできればと思います。設計は普段は篭もってやる仕事だからこそ、余計にまわりの人に何をやっているのかが見えるようになったほうがいいですし。そうした動きが、結果として地域とつながるきっかけになればいいかなと」
「KITAKITAは、まだ一人で運営しているのもあり、休みの日をつくらなくちゃいけないんですけど、カフェを利用してくれる人が増えたり、スペースの使えるエリアをもっと改修したりしつつ、働く人が増えていけばいいなと思っています」
秋田にUターンされ、場の運営しながらも、自身の仕事のフィールドを広げようと活動を続けている柳原さん。細かく言えば「Jターン(出身県ではあるが、出身市町村ではないかたちの移住)」に当たります。柳原さんのように、完全な地元じゃないからこそ、地域の壁を乗り越えてできることもあり、そうした意味では、Jターンの強みはあると感じます。
またKITAKITAのように、ジャンル問わず集れる場所が少ない地域において、さまざま人たちが気軽に行ける場をつくることの意味は大きいです。公民館のような、自治体が持つ場ではどうしても気が引けてしまう人たちもいるなか、あくまで仕事場をベースにしながらも地域へと開いていく、その場のあり方は、地域において個人(民間)レベルで小商いをはじめたいと考える人のロールモデルとなるのではないでしょうか。
KITAKITAは、実際に足を運ぶことができます。移住、二拠点などの地域との関わり方を探っている人は、先輩移住者の話のなかから、たくさんの暮らしのヒントを見つけられます。その地を訪れるみなさんは、“よそ者”になるかとは思いますが、その“よその目”を活かすこともできるはずです。その地域の何がおもしろく、そこでは何が不足しているのか、ご自身で体験してみることから、地域との関係性がはじまります。
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