2016.1.6
「移住」って何だと思いますか?
異動で大阪から東京へと住む場所が変わるのも移住。起業して東京から地元和歌山に戻って暮らし始めるのも移住。「あ、私も移住者だったんだ!」と先日あるイベントを通じて気付かされました。新しい土地に移るという決断に対して、誰しも一度は、コミュニティや仕事や住まいについて不安を抱えた経験があるのではないでしょうか。
いったいどうすれば、もっと楽しく積極的に、移住という選択を暮らしに取り入れられるんだろう?そのヒントを得るために、11月23日(日)和歌山市にあるシェアキッチンPLUGにて開催された『いま、移住の話をしよう。』というイベントに参加しました。
和歌山市内にある「シェアキッチンPLUG」は、株式会社BEEとコワーキングスペース コンセントの共同事業として運営される”みんなが使える共同キッチン&カフェ”。参加者募集型のオープンなイベントやクローズの貸切パーティなどが連日開催されている。木金土はランチ営業あり。市内の最新情報が行き交う町のハブを成す場所。店主 小泉 博史(こいずみ ひろし)さんが、今回のイベント発起人。
ゲストは、マチノコトでも過去に何度か紹介されている、京都移住計画の代表を務める田村 篤史(たむら あつし)さん、ファシリテーターは佐賀移住計画の東 信史(ひがし のぶふみ)さんです。平成26年度の総務省の統計によると、和歌山県は人口減少率ワースト5位、高齢化は関西1位。そんな若者の流出が叫ばれる和歌山で、移住促進の実践者2名によるトークイベントから「自分たちの地域でできる移住促進とは?」を探っていきました。
まず、2011年に東京で産声をあげた”京都で暮らしたいひとの想いをカタチにする” 移住応援サイトの京都移住計画。現在は、株式会社Tunagum(ツナグム)という会社の一事業として運営されています。
京都移住計画では、「居(コミュニティ)」「職(仕事)」「住(住まい)」という移住に深くかかわる3つの側面から情報を発信して活動を展開しています。移住者と移住検討者が繋がれる場をつくるイベント”京都移住茶論”を開催したり、働くひとにフォーカスして地域の魅力的な仕事の求人を紹介したり、京都出身の不動産に詳しい運営メンバーで不動産探しのお手伝いをしたり、という具合です。
現在運営メンバーは10名少々、フリーランスが集まったプロジェクト型の組織で成り立っています。全員UターンIターンを経験する30代で、京都出身の人から京都出身ではないけれども京都に縁があったり、純粋に好きでたまらないという人まで。代表 田村さんが東京で働いていた頃に「いつか京都に住みたい」という共通の想いで繋がった仲間で、小規模なグループをつくって集まっていたのがはじまり。想いがプロジェクトとなり、ついには起業・事業化して今に至ります。
今や各地から「○○移住計画」という活動を聞くようになりましたが、一番はじめにできたのが京都移住計画。なぜ、京都移住計画が生まれたのか?田村さんが移住を見つめはじめた“きっかけ”を話してくれました。
東京で働いていた頃、シェアハウスも運営していた田村さん。その界隈のコミュニティには関西出身者が多くいました。田村さんは地元京都への愛着から、5年経ったら京都へ帰ろうとはじめから決めていました。2011年3月11日、関東大震災が起きました。震災以降、田村さんの周囲では、「ずっと東京にいるの?」という会話をする機会が増えていきました。この質問に対して「いつか地元に戻りたい」と返答する友人は少なくなかったといいます。
でも、その「いつか」っていつくるんだろう?本当にその「いつか」はやってくるんだろうか?そんな思いが、当時の田村さんの頭によぎりました。東京では情報やひとが激しく溢れんばかりに行き交っていて、うごめくブラックホールのような引力を持っています。「いつか」と願いつつも東京を離れることの不安感から、その想いが日々に埋もれてしまう可能性だって低くありません。
だからこそ「皆の”いつか”のために、今自分のできることをしよう」と、東京の友人たちの想いに追い風を送るような気持ちで、移住について情報発信をしはじめたのが、全てのきっかけでした。
京都移住計画を進める中で田村さんが大事にしているのは、ひととひとの繋がりです。いざ帰りたい・住んでみたいと思った時に「あのひとたちが居るなら」と思い浮かぶ顔があることがどれほど心強いことか。そこで、オンライン上での情報発信や実際のイベントを介して、移住検討者と移住者が繋がる機会を設け、移住先のコミュニティの受け皿をつくったり、先に移住を経験したロールモデルとの接点を生み出したりしているのです。
また、田村さんと東さんが共通して話してくださったポイントは「その町に住んでいるひとたちが、自分の町を好きであること」ということでした。
その地域に住む人々がその地域を愛していれば、その様子に惹かれてひとはやってくるもの。お二人が共通してお話くださったのは、まず自分の幸せから出発することであり、その幸せは誰かの幸せに繋がっていくということです。
そのためには、はじめの一歩として、自分の暮らす町のことをよく知っておく必要があります。そして、自分にとっての「ここが好き!」を積極的に外へ発信したり「もっとこうなったらいいなあ!」を少しずつ実現していくことで、きっと誰かの新たな一歩へと繋がっていくものなのだと教えてくれました。
田村さん
「いきなり『移住しよう!』というのはハードルが高いもの。だからまず、地方に縁のあるひとで集まる交流会を都心で開催してみたり、地元の良いところをSNSに書いてみたり、そうやって今居る場所で出来ることからはじめてみることが大切なんだと思っています。」
イベント後半では、会場参加者からのQ&Aタイムも設けられました。UターンやIターンを多く含んだ、現在和歌山で暮らす人々が参加したこのイベント。「和歌山への移住を促進して、もっと楽しく豊かな町に」という共通の想いのもと、参加者からは前向きな姿勢の質問が次々と続き、会場全体で共有されていきました。
その中から「和歌山移住計画という名前で、私たちも何かはじめていきませんか?」という声があがりました。すでにいくつか存在する「○○移住計画」という活動は、市や区で細分せず県単位であれば名付けることが可能で、それぞれ独自のルールと運用方法で活動を展開しています。
名前を使うことに対する権利承諾などは特にないとのことですが、現在いくつか存在する移住計画は県を越えて、時々情報を交換しながらイベントなどで繋がり合っているようです。もし、「○○移住計画」が地元にまだ存在せず、自分たちもやってみたいという方がいれば、京都移住計画の田村さんに一報いただくのが一番良さそうです。
和歌山でも、このイベントをきっかけに「和歌山移住計画」が開始されることとなりました。今後、移住について地元の皆で話す会を設けたり、その場に移住検討者を招いてコミュニティの接点をつくったり、地域の魅力的な場所をひとを軸にして情報発信するサイトを開いたりと、移住促進に向けて様々な展開をしていく予定となっています。
「移住」と聞くと、冒頭の私のように他人事のように感じていたひとも少なくないはず。ただ自分の地元や今住む地域を愛して、その気持ちを誰かに伝えていく。そんなシンプルなことで、もっと気軽にもっと楽しく、住みたい場所で生きるという選択のある世の中になっていくのではないでしょうか。
田村 篤史(たむら あつし)さん
京都移住計画代表。1984年の京都生まれ。大学在学中にNPO出資のカフェ経営に携わる。その後休学しPRや企画を行うベンチャーにて経験を積む。卒業後、東京の人材系企業に就職。2011年に「京都移住計画」を立ち上げる。退職後、京都へUターン。会社員とフリーランスの間のような働き方で、様々な組織やプロジェクトに関わる。2015年より株式会社Tsunagumuとしてこれまでの取り組みを事業として法人化。
東 信史(ひがし のぶふみ)さん
佐賀移住計画代表。1985年の佐賀県生まれ。大学卒業後、広告会社にてスクール事業の広報・経営戦略に関する企画営業に従事。同時に、NPO法人である福岡テンジン大学、greenbirdに企画コーディネーターとして参加。2013年に転職、きょうとNPOセンターへ。2015年4月から「有限責任事業組合まちとしごと総合研究所」に事業統括を務める。京都移住計画を通じて、京都に引っ越した移住者のひとり。
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